政治経済レポート:OKマガジン(Vol.349)2015.12.4

来年1月11日、毎年恒例のBIP(Business Intelligence Professional)セミナーを開催します。ご協力、ご参会、お待ちしております(ホームページバナーからお申し込みできます)。今回のテーマは「日本は世界とどう向き合っていくのか」。第1部は「中国の実態とアジア・アフリカ経済」、第2部は「米国の戦略と欧州連合の行方」です。


1.パンダ・ハガ―

マイケル・ピルズベリー著「100年のマラソン」の邦訳本(邦題「チャイナ2049」)が出版されました。原著はワシントンの外交関係者の間で静かなブームになっています。

「パンダ・ハガー」。米国では親中派をそう呼びます。日本で言うところの「媚中派」。

著者のピルズベリーは元政府(国防省、CIA等)職員。ニクソン政権からオバマ政権に至る間、米国対中政策における重要人物のひとりだったようです。

1990年代後半以降、諜報資料、中国国内の報道・文献の収集・分析、人脈(反体制派、学者等)への接触等の活動から中国の「戦略」を調査。

その結果、同書の中で述べられている結論は、要約すると以下の3点です。

第1に、中国共産党結党100年目(2049年)を目標に、世界の経済・軍事・政治の覇権を米国から奪取する。それは、清朝末期以降、諸外国が中国に及ぼした過去の屈辱に対する「復讐」「清算」(当該目標は「100年マラソン」と呼ばれ、同書のタイトル)。

第2に、中国国内の「タカ派」は、毛沢東以来の歴代指導者にその目標を擦り込み、言わば洗脳。歴代指導者や幹部はその「戦略」を隠しつつ、米国を中心とする諸外国と巧みに接触。経済的・技術的支援を獲得しつつ、「戦略」実現に向けて着々と歩を進めてきた。

第3に、歴代の米国指導者はそのことに気づいていなかった。米国内の「パンダ・ハガー」は完全に出し抜かれ、自分自身(ピルズベリー)も騙されていた。

以上の3点を様々なエピソードや具体的証拠に基づいて述べていることから、興味深い本であることは事実です。

しかし、先月ワシントンに出張した際の印象では、米国人の多くが知っているベストセラーというわけではなく、外交関係者を中心とする有識者の間で話題になっているという感じです。ベストセラー本に時々ある現象ですが、本国よりも日本で良く知られるようになるパターンの書籍かもしれません。

同書の結論のうち、第1と第2はやや単純過ぎる、あるいは当たり前のことを大袈裟に言っているように思えます。

国家、とりわけ中国のような大国がそういう考え(覇権志向)を抱くのは言わば当たり前。同様の推察はメルマガ332号(2015年3月30日)でも述べていますので、ご興味があればホームページ(バックナンバー)からご覧ください。

第3の「それに気づいていなかった歴代の米国指導者」という設定はさらに違和感を覚えます。それが本当であれば、米国指導者は相当能力が低く、騙されていたピリズベリーはCIAのエージェントとして失格です。

ところが、同書冒頭の「著者注」は以下のように記しています。

曰く「本書は、機密情報が漏洩しないよう、刊行前にCIA、FBI、国防長官府、国防総省の代理によって査読を受けた。各機関の活動を脅かす繊細な情報をすべて削除してくれた査読者の努力に感謝する」(原文ママ)。

この「著者注」を前提とすれば、書かれていない重要な事実が存在するということです。また、同書の内容を受けた中国や関係諸国(日本を含む)の反応を見越した、あるいはそれを誘導する戦略的出版物と考えることも可能です。

何しろ、核戦争等のシミュレーション(模擬実験)を「ゲーム理論」を駆使して行う国です。米国の歴代指導者やそれをサポートする米国首脳部は中国の「戦略」を十分に理解していたと捉える方が現実的だと思います。

2.外交の鉄則

では、同書が米国の戦略的出版物だと仮定する場合、米国は同書や影響によって何を実現しようとしているのでしょうか。

同書の「著者注」と併載されている「推薦文」は元CIA長官ジェームズ・ウールジーの記名文。ウールジーも「パンダ・ハガー」のひとりです。

曰く「パンダ・ハガ―(親中派)のひとりだった著者が、中国の軍事戦略研究の第一人者となり、親中派と袂を分かち、世界の覇権を目指す中国の長期的戦略に警鐘を鳴らすようになるまでの驚くべき記録である。本書が明かす中国の真の姿は、孫子の教えを守って如才なく野心を隠し、アメリカのアキレス腱を射抜く最善の方法を探しつづける極めて聡明な敵だ。我々は早急に強い行動をとらなければならない」(原文ママ)。

この「推薦文」も冷静に咀嚼する必要があります。元CIA長官としてはピルズベリーが間違った情報や分析を報告していたのであれば、本来は叱責すべき。「推薦文」を書いている場合ではありません(笑)。

「推薦文」の最後の一文「我々は早急に強い行動をとらなければならない」というあたりに日本が熟考すべき米国の「戦略」があるかもしれません。

ワシントン出張中に、ピルズベリーが今年2月3日の講演で次のように述べたことも聞きました。

曰く「中国は、日本の首相の靖国参拝は中国への再度の侵略への精神的国家総動員のためであり、日本の宇宙ロケット打ち上げは弾道ミサイル開発のため、プルトニウム保有は核兵器製造のためだと吹聴している。『日本悪魔化』工作とも言えるこうした主張に対し、日本は正面から論争を挑み、正すべきだ」。

昨日まで3日間、筆者(大塚)は北京を訪問していました。面談した党関係者、政府関係者から直接その種の発言は聞きませんでしたが、若い大学関係者(研究者)たちの発言からは、そうした文脈につながるような日本評が感じられました。

面談者全員にほぼ共通していた主張は、中国は日本にとって「重要な市場」であり、日本がその恩恵を被るためには中国との「互恵関係」を重視すべきという点です。上述の若い大学関係者は「日本がそうした姿勢をとらなければ、中国における日本の地位は韓国に取って代わられる」と明言していたのが印象的です。

過去の歴史的経緯と直接関係していない、伝聞でしか過去の経緯を知らない若い世代同士が双方の極論を主張し始めると、破局的な衝突につながる危険性があります。

このメルマガでかねてから主張しているように、国際関係や外交の鉄則をしっかり共有することが最も重要です。

それは「自国の利益を犠牲にして他国の利益を守る国はない」という現実です。米国は日本にとって重要な同盟国ですが、米国が「米国の利益を犠牲にしてでも日本を守ってくれる」と考えるのは少々人が良すぎます。

米国が日本を守るのは、それが米国自身の利益に叶うと判断する場合に限られます。そうでなければ、米国政府は米国民に対して背信しているとも言えます。

もちろん、中国が日本の利益のために行動することはありません。しかし、逆に言えば、中国自身の利益になると思えば、これまでの言動を変えることもあるでしょう。

さて、日本は「100年マラソン」をどのように咀嚼し、米中とどのような外交を行っていくべきでしょうか。そして、世論に影響を与えうるマスコミや有識者はどのような分析と主張を行うべきでしょうか。

米中両国が日本の与(あずか)り知らない交渉や合意を水面下で行い、日本が踊らされるという展開は回避しなければなりません。

3.代償(ツケ)

欧米人はウィットの効いた表現やブラックジョークを好みます。財政分野では「自分の金と同じくらい注意深く他人の金を使う愚か者はいない」というものがあります。税金は無駄遣いされる傾向があることに対する警鐘です。

「本当のことを本に書くほど馬鹿じゃない」という表現も聞きます。この観点から言えば、「100年マラソン」も斜めに読まなくてはならないでしょう。

「100年マラソン」の論旨は、「欧米や日本の犠牲になった貧しい中国」を支援して豊かにすれば、やがては国際社会と協調し、西側に与(くみ)すると考えてきたが、それは幻想だったというものです。

一方中国は、米国は「和平演変(平和的体制転覆)」を仕掛け、最終的には米国主導の国際秩序に中国を従属させることを画策していると考えています。現に米国が多くの国にそうした策謀を行ってきた事実に照らせば、中国が抱く懸念はもっともです。

しかし、米国はそれを「自由と民主主義という普遍的価値観を世界に普及させるための闘い」と抗弁するでしょう。

米中の「真意」を推し量ってみても究極的には無意味です。「真意」は当事者しかわからない、あるいは当事者ですらわからないのが国際政治です。

日本としては、情報の収集と分析に努め、事実を冷静かつ客観的に整理し、米中の水面下の交渉や合意を知らないまま踊らされるという事態だけは回避しなければなりません。

以下、中国要人の敬称は略します。2007年、中国共産党第17回大会において、江沢民(前総書記)と胡錦濤総書記(当時)の権力闘争の副産物として誕生したのが習近平常務委員(次期総書記候補)。

自分の系列に属する陳良宇を次期総書記に推す江沢民。一方、本命の李克強を推す胡錦濤。江沢民は胡錦濤との全面対決回避を模索し、傀儡政権化も可能と考えた大穴(無名)の習近平登用を主張。胡錦濤も李克強を次期首相とすることで妥協しました。

ところが5年後。2012年の第18回大会で習近平の総書記就任を阻止し、自らが総書記を狙った薄熙来。それに同調した周永康、徐才厚、令計画。阻止工作は失敗し、習近平は総書記に就任。

就任と同時に習近平は反撃開始。「この4人は巨大利権に関与し、権力を私物化していた」との嫌疑をもとに「新4人組」を次々と逮捕、失脚させました。

総計25万人にも及ぶ「貪官汚吏(汚職官僚)」摘発を断行。こうした姿勢が国民の人気を高め、習近平は「毛沢東再来」とまで言われるようになっています。

国外逃亡の官僚、企業家のうち約2万5千人が米国内に滞在。中には「新4人組」に連なる者、習近平政権の秘密を知る者も含まれ、重要指名手配中の約100人のうち約40人が米国に潜伏していると言われています。

その中に含まれるのが、最重要機密を知っていると言われる令計画の弟・令完成、北京五輪に絡む汚職情報を握っていると言われる郭文貴。習近平は彼らの引き渡しを米国に求めていますが、米国は「居場所がわからない」とどこ吹く風。

不思議な話ですが、そもそも2012年2月、副主席(常務委員<当時>)として訪米した習近平に「新4人組情報(習近平の総書記就任阻止工作)」の存在を伝えたのはバイデン米副大統領と報道されています。

中国要人の中には子弟を米国の大手金融機関やIT企業に縁故採用させている者も少なくないそうです。米SEC(証券取引委員会)は米企業に対し、習近平の盟友であり、汚職摘発の責任者である王岐山常務委員(規律検査委員会書記)を含む中国要人との通信記録提出を命じています。

そうした中で出版された「100年マラソン」。しかも、著者は元CIAエージェント。自ら「著者注」でCIA等の査読済と喧伝。「推薦文」を書いた元CIA長官は「我々は早急に強い行動をとらなければならない」と主張。

さて、何が真実で、何が正義なのか、判別不能です。ワシントンでは、南シナ海における米中緊張も条件闘争のための「出来レース」という指摘も聞きました。

日本は「自国の利益を犠牲にして他国の利益を守る国はない」という悲しくも、やむを得ない人間社会、国際社会の現実をよくよく理解し、誤りなき選択と対応を行わなくてはなりません。

折しも、ロシアに情報漏洩していた元自衛隊幹部(陸将)が摘発されました。米中のパワーゲームにロシアも加わると、その構図は一層分析が困難になります。

マスコミ、有識者のみならず、国民全体に求められるのは、思い込みやイメージ論、自らは何の確証もない伝聞情報だけに基づいて、単純で軽薄な論争を行わないことです。

軽率な判断と行動の「代償(ツケ)」は、後世の世代が払うことになります。賢明な論争に努めたいと思います。

(了)


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