今やアジア版ダボス会議と呼ばれる「ボアオ(中国海南省)アジアフォーラム」が昨日(29日)閉幕。会期中、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加表明が相次ぐなど、国際新秩序を目指す中国の戦略が勢いづいています。
ボアオアジアフォーラムの基調演説で、中国の習近平主席は「アジアと世界にとって有益な地域秩序を作りあげる」と発言。
具体的には、かつての陸と海のシルクロード沿いに巨大経済圏を構築する「一帯一路」構想を表明。さて、日本はどのように対処すべきでしょうか。
何ごとにつけ、軽薄な強硬論や安直な追従論に走る傾向がある最近の日本。大いに心配です。何が原因でしょうか。
冷静な国家運営を行うためには、何ごとにつけ、歴史の理解と深層の洞察が不可欠。中国との関係を考える際にも、まずは中国近代史を知ることが必要です。
今を遡ること175年。中国近代史はアヘン戦争(1840年)が端緒。同戦争で清朝が英国に敗戦。香港が割譲され、以後、西洋列強による半植民地化が進みます。
1856年の対英仏アロー戦争、1884年の清仏戦争、1894年の日清戦争と、清朝は敗戦続き。ロシアも南下して清朝を圧迫。清朝は瓦解していきます。
窮した清朝は「中体西用」を掲げて近代化を企図。日清戦争後は康有為らの進歩派官僚が「戊戌の変法」で改革を目指したものの、西太后らの抵抗によって挫折。
1900年、「扶清滅洋」を掲げる義和団事件が勃発。西太后は義和団を支持し、清朝は列強8ヵ国に宣戦布告したものの、あえなく敗北(北清事変)。
清朝弱体化が進む中、「滅満興漢」を掲げる漢族革命、孫文による辛亥革命が勃発。1912年、ラストエンペラー(宣統帝)が退位し、清朝は滅亡。中華民国が成立しました。
以後、欧州列強と日本による局地的支配と軍閥の群雄割拠が続き、1929年にはソビエト(1922年建国)赤軍との中ソ紛争にも敗北。
1931年、満洲事変勃発。翌年、日本の支援を受け、宣統帝が満州国を建国。これを契機に、反目していた中国国民党と中国共産党が連携(第二次国共合作)。日中戦争に突入。
1945年、日本が第2次大戦で敗北。中華民国は連合国(戦勝国)の一員として香港・マカオ・旅順・大連などを除く中国全土を掌握。
しかし、米国を後ろ盾とする中華民国国軍(国民党)は、ソビエトが支援する毛沢東率いる人民解放軍(共産党)との内戦に敗北。1949年、共産党独裁の中華人民共和国が誕生。
以後の現代中国は、毛沢東時代(1978年まで)、鄧小平時代(1997年まで)、それ以後の3期間に大別できます。
毛沢東時代は共産党による世界革命路線を推進。ウイグル、チベットを次々と併合し、1951年にはソ連から旅順港・大連港・南満州鉄道を奪回。
1952年には朝鮮戦争に介入。米韓軍を主体とする国連軍による朝鮮統一を阻止。1962年にはチベットからインドに侵攻(中印戦争)。
1966年、路線対立を背景に、官僚化した共産党の打倒を呼びかけた毛沢東に紅衛兵が呼応。文化大革命が勃発。反革命派と目された多くの人々が弾圧されました。
1969年、中ソ国境紛争が勃発。1972年、ニクソン大統領訪中を契機に米中関係が改善するとともに、日中国交正常化。1974年には南シナ海に侵攻し、西沙諸島を占領。
1976年の毛沢東の死去を契機に文革が終結。1978年12月、過去の失脚から復活した鄧小平が実権を掌握しました。
鄧小平は共産党独裁体制を堅持する一方、経済開放政策を断行。「改革開放」によって中国の経済発展と近代化を目指します。
その間、中ソ対立を背景として、ソ連が支援するベトナムと2回(1979年、1984年)に亘り交戦。ソ連弱体化を機に、1988年にはベトナム領ジョンソン南礁を占領。
1985年、ソ連の民主化、米ソ緊張緩和を進めるゴルバチョフが訪中。鄧小平の改革開放路線を中途半端と批判。中国国内に「政治の改革開放」を求める機運が台頭します。
1989年、民主化要求運動を弾圧する天安門事件が勃発。鄧小平は天安門広場に集まった学生らを殺傷し、「経済は開放しても、共産党独裁は変えない」姿勢を顕示しました。
1990年代、鄧小平は経済発展の先行する南部・臨海部を巡り、先に富める者から豊かになって国を牽引することを推奨する「先富論」を展開(南巡講和)。
1997年、鄧小平が死去。以後の中国は、「世界の工場」の地位を日本から奪取する高度成長を実現する一方、極端な経済格差と深刻な環境破壊に直面しています。
「先冨論」と並んで鄧小平が示したもうひとつの重要な言葉は「韜光養晦(とうこうようかい)」。メルマガ299号(2013年11月13日号)の復習です。
「韜光養晦」は、能力や才能を意味する「光」を「韜(つつ)み」「養(やしな)い」「晦(かく)す」の含意。野心や才能や隠し、周囲を油断させて、力を蓄えるという処世訓。
鄧小平は、中国は「韜光養晦」つまり「当面は力を蓄える」という姿勢を国民に説いたと解されています。
その後の国家主席である江沢民(在任1993年から2003年)期、及び胡錦濤(同2003年から2013年)期前半は「韜光養晦」を堅守。
しかし、胡錦濤期の終盤に徐々に姿勢が変化。2009年7月の駐外使節会議(5年に1回開催される駐在大使会議)の演説で、胡錦濤は注目すべき発言を行っています。
鄧小平が示した「韜光養晦」には後半の4文字があります。すなわち「韜光養晦、有所作為」。胡錦濤は鄧小平の遺訓を「堅持韜光養晦、積極有所作為」と修正して発言。
後段の「有所作為」がなかなか難解。「やることを淡々とやる」とも解釈できるし、「やるべき時にはやる」とも訳せるそうです。つまり、「そろそろ討って出る」とも解せます。
胡錦濤から習近平に替わって2年。「一帯一路」は「韜光養晦」に代わる新しい中国の国家運営姿勢を内外に示していると言えるでしょう。
この間、2001年、共産主義国家でありながらWTO(世界貿易機構)に加盟。以来、経済力を高め、2008年の世界金融危機(リーマンショック)の際は欧米諸国に先駆けて難局を脱出。2010年、GDP(国内総生産)は日本を抜き、世界2位の経済大国に浮上。
そして今年のAIIB設立。2000年代に「世界の工場」を制した中国。次は金融。AIIBはそうした文脈の中で理解する必要があります。
ボアオアジアフォーラム終了後、習近平主席が「AIIBはブレトンウッズ体制への挑戦とする見方は間違い」とわざわざ発言したことに、深層が透けて見えます。
第2次世界大戦の帰趨が見えてきた1944年7月。連合国45ヵ国が米国ニューハンプシャー州ブレトンウッズで戦後復興を見据えた会議を開催。戦後の国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD)、貿易関税一般協定(GATT、後の世界貿易機構<WTO>)等の枠組みを決定しました。
主要国によるブロック経済化が第2次大戦の要因となったとの反省に基づき、経済金融の国際協調体制構築と戦後復興支援による世界経済安定化を企図しました。
その柱は米国を中心とした世界新秩序であったことは明々白々。ドルを基軸通貨として金1オンス35ドルと定め、各国通貨との固定相場制(金本位制)を採用。
しかし、ベトナム戦争等の影響を受けた米国の貿易赤字と財政赤字の深刻化を契機に、1971年8月、米国は突如ドルと金の交換停止を発表。ニクソンショックです。
しかし、その後もIMF、世界銀行(IBRDから発展)等の米国中心の国際金融体制は継続。国際決済銀行(BIS)等を巡る米欧の確執はあるものの、広義のブレトンウッズ体制は続いています。
この間、アジアの国際金融機関としては1966年に日米主導で設立したアジア開発銀行(ADB)があります。ADBの拡大強化を図る構想もあるものの、中国の出資比率上昇に伴う発言権拡大を警戒する米国の反対でなかなか実現しません。
1997年のアジア通貨危機後、日本はアジア通貨基金(AMF)創設を目指したものの、やはり米国の猛反対で頓挫。米国はアジアでの米国の影響力低下を懸念しています。
日本はやむなく2国間協定等で通貨危機に対応。その代表例が日韓通貨協定でしたが、ここにきて韓国は同協定を打ち切る一方、最大の貿易相手国である中国との協定は延長。
同様の動きは他国でも広がっており、貿易決済で人民元を使うケースも漸増。人民元の国際化を進める中国主導の通貨圏が広がっています。
そうこうしているうちに、今年のAIIB設立。インフラ整備を支援するという中国の巧言に、投資資金不足に悩むアジア諸国、ビジネス拡大を企図する各国が追従しました。
東南アジア10カ国、インド、サウジアラビア、ニュージーランド等に続き、3月20日には英独仏伊が参加を表明。その後、韓国、カナダ、豪州等も参加表明。
米国に追従してAIIB参加に慎重姿勢を取り続けてきた日本にとっては誤算の展開。さて、米国自身はどうするのでしょうか。
3月20日の参議院財政金融委員会で麻生財務大臣にこの点を質問。「米国は日本に慎重姿勢を求める一方で、自らはAIIBに参加表明する可能性があるのではないか」と聞くと、麻生大臣は「それはあり得る。米国はそういう国だから」と何とも大らかな答弁。
自国の国益重視の米国。当たり前です。それが国家の本質。一方、米国追従の日本。米国からの慎重対応の求めに従順に応じています。
一方、実利ばかりに目がくらむ日本の財界。新聞には「巨大な中国やアジア市場は魅力的。AIIBに参加しないと受注にマイナス」「東京五輪後の海外での新規需要獲得に悪影響が出る」等々のコメント。しかも大半が匿名コメント。
近代史以外の大半の期間において、中国は常に世界の超大国。是非は別にして、今またその状態に戻りつつあります。隣国日本は、好き嫌いの問題ではなく、中国と上手く付き合っていくしかありません。
米国は日本にとって重要な同盟国。しかし、いくら追従しても、米国自身の国益を犠牲にしてまで日本を守ってくれることはありません。それが国家の本質であり、現実です。
この局面、日本はAIIBに参加するという判断が合理的でしょう。但し、その後の米国の参加を見越した(予測した)うえで、米国に先んじて参加表明すべきです。
その際、水面下で中国とどのような条件闘争を行うか。米国にどのような配慮をして、米国に貸しをつくるか。それが本来の日本の外務省の仕事です。
何ごとにつけ、軽薄な強硬論や安直な追従論に走る傾向がある最近の日本。はてさて、いったい何が原因でしょうか。誰のせいでしょうか。いずれにしても、難しい問題です。
今後、国際社会における日本の立ち回りは一層難度を増すでしょう。中国と米国が内通し、気が付いたら双方から梯子をはずされる展開だけは避けなくてはなりません。
(了)