政治経済レポート:OKマガジン(Vol.547)2024.11.27

イスラエルがレバノンと停戦合意しました。一方、イスラエルとハマスとの停戦、ガザ地区での戦闘終結はかなり困難そうです。昨年秋来、ガザ地区では戦闘による犠牲者が過去に例のないペースで増加しています。


1.8200部隊

「8200部隊」はイスラエル参謀本部諜報局情報収集部門の一部署。NSA(米国国家安全保障局)に匹敵する諜報機関です。

イスラエルには首相府に国家サイバー局があるほか、モサド等の情報機関もサイバー部門を有しますが、8200部隊はIDF(イスラエル国防軍)のサイバー攻撃・防御の超精鋭部隊です。

8200部隊の前身は1948年イスラエル独立宣言以前から存在した「シンメン(ヘブライ語で『新たな軍務』)」。1952年に米軍放出備品を使って設置され、当初は「インテリジェンスサービス部隊」と呼ばれていましたが、1973年第4次中東戦争後に再編されて8200部隊となりました。

8200部隊の存在は約10年前まで非公表でしたが、2012年6月、NYT紙が「NSAと8200部隊がコンピュータウイルス『スタックスネット』をイラン攻撃に使用」と報道。僕もその報道で存在を知りました。

信号情報収集(SIGINT)や暗号解読を主な任務とする数千人規模の組織です。インターネット等から通信情報及びコード解読を行ったり、最新テクノロジー開発に従事しています。

イスラエルでは機密情報の約9割が8200部隊によって生成され、同国諜報特務庁「モサド」や他の情報機関も同部隊の生成情報に依存しているそうです。

イスラエルのサイバーセキュリティ業界は世界最高水準であり、関係企業では社員が8200部隊出身であることを公表してセールスポイントにしています。

イスラエルでは高校卒業後の18歳で男女問わず兵役義務があります。8200部隊は新兵の中から、ハッキング、数学、技術、言語、チームワーク等に適性のある1%を採用。

8200部隊はその存在が公になって以降、ブランド化しています。厳しい訓練と実務経験を経た後に起業する者も多く、起業家やエンジニアを輩出する土壌やOBネットワーク等はハーバード大学等に匹敵するとまで言われています。部隊出身者が起業した会社プロフィールに「CEOは8200部隊出身」等と明記して箔を付けるのに一役買っています。

部隊出身者はIT系上場企業やユニコーン(評価額10億ドルを超える未上場企業)を次々と誕生させており、サイバーセキュリティ領域の潮流を理解するうえで8200部隊は避けて通れません。

8200部隊の主な役割は「COMINT(コミント)」、つまりコミュニケーションインテリジェンス(通信情報収集)。情報機関の多くは政府系機関ですが、8200部隊はIDF諜報局の一部門でもあります。つまり、政府系機関かつ軍の一部であり、8200部隊の隊員は「兵士」です。

米国NSAなどの情報機関は大学や特殊訓練を経た30?40歳代の専門家が活躍していますが、8200部隊は18?20歳が中心です。

兵役義務を終えると、就職、進学、結婚それぞれの道に進みますが、予備役があります。一定年齢まで1年に数日ないし数週間、部隊に戻って任務を果たします。

8200部隊に選抜される際、事前に「スクリーニング(選別審査)」されます。その資質の審査評価基準こそが8200部隊最大の秘密です。審査時は高校在学中の17歳。軍に興味はなく、遊び盛りでYouTube等に夢中の普通の少年少女。学歴等は関係ありません。

学業の優劣と、職場や戦場での能力は別物。貧困のために勉学環境に恵まれずに成績が悪い生徒や、勉強よりも読書が好きで学業に身が入らなかった生徒もいるでしょう。その中から適性を見抜く審査評価基準、評価手法は明らかにされていません。

言語習得能力、パターン認識、プログラミング等で優れた能力を秘める高校生をどのように選定するのか。学業成績や知識ではなく、ソフトスキルやポテンシャル、成長意欲等に注目していると聞きます。もちろん、学業成績が優れ、理数系に秀で、IQ(知能指数)やリーダーシップ、ハッキングやプログラミング等の能力のある優秀な生徒も選定されます。しかし、それだけではないということでしょう。

部隊では、多くの資金を投入して教育し、国家の重要任務を達成するのに必要な能力を鍛え上げます。

側聞するところでは、隊員がイノベーティブな思考回路を持てるよう鍛錬し、限られた資源で大きな結果を生み出すマインドをセットします。その構造は、スタートアップ企業を立ち上げるのに必要な資質と共通します。

8200部隊では「無知を恐れない」ことを叩き込むそうです。8200部隊に加わると、隊員は様々な訓練を経て「不可能なことない。全ては可能、何でもできる」と教え込まれます。

8200部隊のみならず、イスラエル社会では「未経験ならではの価値」が評価されるそうです。固定観念や既成概念に囚われないことを意味します。イスラエルが「スタートアップ国家」と呼ばれるようになった所以です。

欧米起業家も、8200部隊出身者を中心としたイスラエル人起業家の同調圧力を恐れない姿勢、社会的枠組みに囚われない自由な発想、緊密なネットワークに一目置いています。

イスラエルには「無知を恐れない」「失敗を恐れない」精神が浸透しているそうです。常に安全保障上の緊張状態に置かれていることに加え、8200部隊出身者の活躍も相俟って、イスラエルのそうした社会風土を生んでいるのかもしれあせん。

そうした社会風土がスタートアップ企業を育む源泉になっています。変化のスピードが速い中で、綿密に計画したり擦り合わせしているうちにイノベーションはどんどん進みます。「やってみないとわからない」「失敗もチャンスに変える」という思考回路でスピーディに挑戦する精神がイスラエルの強みでしょう。

除隊後も世代を超えてネットワークを活かして支え合う構図も8200部隊出身者の活躍の秘密です。世代間の交流は多様性を強化します。

多くのスタートアップ起業家やエンジニアを輩出する8200部隊のプレゼンスは、今後ますます高まっていくと予想します。

2.ラベンダー

昨年秋から始まったイスラエル・ハマス戦争でIDFがAI標的生成システム「ラベンダー(Lavender)」を使用していることが、今春の独立系メディア「+972 Magazine」とオンライン紙「Local Call」の調査報道で明らかになりました。

取材対象(情報源)は、IDFに所属し、ガザ攻撃に参加し、ハマス工作員・戦闘員の暗殺作戦のためにラベンダー使用に直接関与していた6人の将兵とされています。

ラベンダーの存在がメディアに登場するのは初。同取材チームはこれまでも「ハブソラ(福音)」というAI標的生成システムについての調査報道を公開していました。ハブソラが建物を標的とするのに対し、ラベンダーは人間を標的としています。

報道では、ラベンダーはハマスとイスラム聖戦(PIJ)の軍事部門に所属している疑いのある全工作員を潜在的「人物標的」としてマークするように設計されており、ラベンダーでハマス要員3万7千人の識別を行い、IDFはラベンダーの指示に従って攻撃を行っているとのことです。IDFはラベンダーの指示を「あたかもそれが人間の決定であるかのように」処理したと記しています。

ハマス戦闘員は自分が戦闘員であることを家族や隣人にも秘匿しているため、ラベンダーの「暗殺リスト」に記載される人物は、上級幹部以外は様々な情報から推定された対象者です。

ラベンダーを動かしているのは上述8200部隊。同部隊司令官が過去に出版したAI関連の著作の中で、ラベンダーと同様の標的生成マシン構築に関する解説を記しています。

それによれば、人物の危険評価を行う「数百、数千のチェック項目」や戦闘員通信ソフト「Whatsapp」のグループに入っているか否か、数ヶ月ごとに携帯電話を変更しているか、頻繁に住所を変更しているか等々、推定に必要な特徴条件から攻撃対象人物を特定します。

IDFは大量監視システムで集めた個人データ、ガザのほぼ全住民約230 万人のデータをラベンダーにインプットし、危険評価を行っているそうです。

一見合理的なようですが、ハマスの工作員・戦闘員という認定は、つまり推測であり、100%正確とは言い切れません。

ラベンダーを使用する兵士は、抽出された数百の標的から無作為に対象を選定し、精度確率90%の標的を攻撃します。つまり10%の誤りがあるということです。IDFがハマス戦闘員を狙って空爆していると主張しても、10回に1回は関係ない人物が対象になることが避けられないことを意味しています。

IDFはラベンダーがある人物をハマス戦闘員と判断した場合、それを命令として扱うことを決定しました。つまり、ラベンダーが標的とした人物について、さらに生のインテリジェンスデータ等で確認することはしないことを意味します。

IDFは今回のガザ攻撃までは「人物標的」という言葉はハマスやイスラム聖戦の「上位の軍事工作員」だけを指していました。なぜなら、「上位の軍事工作員」 を殺害するためにその自宅を空爆すれば、家族や周囲の民間人が巻き添え被害の犠牲になることは避けられないものの、攻撃における軍事的利益とそれによる民間人の巻き添え犠牲には国際法で定める「均衡性の原則」が適用されるためです。

逆に言えば、軍事的に重要ではない下位工作員を殺害するのに、巻き添え犠牲を伴う空爆はできないという原則です。

ところが、昨年10月7日にハマス軍事部門がイスラエル南部への越境攻撃で約1200人を殺害し、約240人を拉致したことで、IDFは「ハマスでの階級や軍事的重要性に関係なく、軍事部門の全ての工作員を人物目標とする」ことを決定しました。

人的範囲が広がったため、以前は人物標的の殺害を許可するために行っていた確認作業を省略することになりました。

以前の戦争では、1人の人物標的の殺害を許可するために、担当将校はその人物が確かにハマスの軍事部門の上位メンバーであるという証拠を確認していました。

今回はラベンダーが作成する殺害リストを採用し「人間の職員はラベンダーの決定に対してゴム印を推すだけの役割を果たすことが多かった。1人の標的の確認に約 20 秒だけ使った」と上記調査報道の中で関係者が証言しています。

ラベンダーがなぜその人物を標的であると識別したのか、識別の根拠になるデータは何なのか等々は、一切確認していないそうです。

グテーレス国連事務総長は今年4月5日、IDFがラベンダーを使って人口密集地の住宅地を標的にしていることに懸念を示し「生と死の決断をアルゴリズムに委ねるべきではない」と発言しました。

IDFはこの発言に反発し「標的特定プロセスには多数のツールを使用しており、攻撃に当たってはアナリストが独自の検証を行っている」「テロリストを推定する情報システムは目標を特定する過程で分析官が使うツールに過ぎない」と反論しています。

3.父さんはどこ?

IDFは標的対象者が夜、家族と一緒にいるに時に攻撃しています。「軍事拠点よりも自宅を爆撃する方が簡単」という理由のようです。標的が自宅に戻ったことを追跡する「WD(Where’s Daddy、父さんはどこ? )」と呼ばれるAI追跡システムを使用しています。

WDはラベンダーが選定した標的人物を継続的に監視下に置き、自宅に帰ったと同時に空爆を指令し、一緒にいる家族が殺害されることを前提(やむをえない)としています。

空爆実施までには時間差があり、実際の攻撃時に標的が既に自宅を出ていることもあり、家族や周辺住民だけが犠牲になる事例もあったそうです。

さらに、下位戦闘員を標的にする時には無誘導ミサイルを使用。スマート爆弾(賢い爆弾)と対照的な爆弾ということで「Dumb Bombs(バカ爆弾)」と呼ばれています。精密誘導ではないため、大雑把な空爆のため周辺地域に被害が及びます。

報道の中で「精密爆弾が不足しており、重要でない人物に対して高価な爆弾を使いたくない」とIDF関係者が述べています。

つまりIDFは標的だけではなく、その家族や周辺住民に被害が及ぶことを承知の上であり、このことは「キルチェーン」と呼ばれているそうです。

イスラエルは「ハマスが拠点を住宅地や病院に置くことで、人間の盾をしている」と批判していますが、その一方でイスラエルは「その楯の犠牲は厭わない」という悪循環です。

IDFが巻き添え犠牲も厭わない「ヒューマン・ターゲット」を設定する場合、従来は司令官や大隊長といった幹部クラスだけが対象でした。

しかし、昨年10月のハマスによる攻撃以降は、組織末端の工作員・戦闘員まで「ヒューマン・ターゲット」となったため、巻き添え犠牲が急増しました。

IDFは戦争の最初の数週間で、ラベンダーがマークした標的全員に対して、最大15~20人の巻き添えが出ることを容認したそうです。これは、過去の戦争において「均衡性の原則」に基づき、下位戦闘員の暗殺では「民間人の巻き添え被害」を許可していなかった方針を変更したことを意味します。

さらに、標的が大隊長または旅団長の階級を持つ高官である場合は、100人の巻き添え犠牲を容認したと報じられています。この規模の巻き添え犠牲の容認は、最近の紛争や戦争では世界的にも前例のない規模です。

今回のイスラエルとハマスの戦争では、開戦直後からの死者数の異常な増加が報じられており、以上の情報を踏まえ、その要因を整理すると以下のようになります。

第1に、標的がハマスの下位戦闘員まで拡大されたこと。第2に、標的を拡大するため、IDFの有するガザでの「大量監視システム」の情報がAI標的システム「ラベンダー」に入力され、37000人に及ぶ標的が生成されたこと。第3に、ラベンダーの標的精度は90%であり、10%の誤爆が発生していること。第4に、ラベンダーが生成する標的を自動的に承認するよう決定し、精査・チェック・確認を行わないようになったこと。

第5に、標的が下位戦闘員の場合は15~20人、高官では100人の巻き添え犠牲が容認されたこと。第6に、標的への攻撃はWDによって、夜、自宅に戻った後に実施されたこと。第7に、標的の多くは下位戦闘員であり、精度の低い無誘導ミサイルが使用されたこと。

報道では、ハマスの越境攻撃後に「IDFの職業軍人はヒステリー状態だった」と記されています。イスラエルは中東最強の軍事大国であり、ハマス軍事部門による越境攻撃によってイスラエルの軍人たちが衝撃を受けたことがわかります。

報道は「彼らは狂人のように爆撃を開始して、ハマス解体を企図した」としており、IDF内では「復讐」という言葉が飛び交い、「どんな犠牲を払ってもハマスを潰す。何でもいいから爆撃しろ」という雰囲気だったことを明らかにしています。

一刻も早い停戦と和平を望みます。

(了)

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