政治経済レポート:OKマガジン(Vol.466)2021.7.8

東京にいる時には、時々神宮外苑やオリンピックスタジアムの周りを歩いています。先週から外苑及びスタジアム外周は交通規制が厳しくなり、一帯はロックダウン状態です。前代未聞の環境下でのオリンピックですが、オリンピックそのものの意義や開催のあり方を再考し、IOC(国際オリンピック委員会)の実態にもメスを入れる契機とするべきです。


1.グレートリセット

東京に4回目の緊急事態宣言が発令。五輪を開催するなら、もっと早くから無観客を決め、TVとネットで全競技・全試合完全中継の準備を周到に進めておけば良かったと思います。全競技・全試合ネット中継は意外に盛り上がると思います。

意見具申もしてきましたが、JOCも組織委員会も政府も聞く耳持たず。今からでは準備が間に合わないでしょう。選手もモチベーションを維持するのが大変な大会となりました。

個人的には2024年東京パリ共同開催を推奨していましたが、残念です。フランスの知人から「パリも準備にあと3年しかなく、財政も逼迫。来年には大統領選挙もあるので混乱する。共同開催は妙案」との反応でした。

開催期間を長くして、競技ごと、予選と決勝、開会式と閉会式、それぞれ東京とパリで棲み分け、タスキ掛けの計画を立てれば、観戦客は日本とフランスを往来します。

旅も楽しめるし、航空業界や旅行業界も助かるし、3年間にコロナ対策も十分できるし、良いことづくめ。そういう発想の転換ができないのが日本の限界です。

発想の転換と書いたら、今年のダボス会議のことを思い出しました。5月18日に中止が発表されました。

ダボス会議は世界経済フォーラム(WEF)が毎年スイスのダボスで開催する国際会議。1971年から続いています。WEFはジュネーブに本部がある非営利組織です。

例年1月から2月にかけて開かれますが、今年はコロナ禍の影響で8月にシンガポールで開催予定でしたが、それも中止にしたということです。

予定どおり開催されていれば今年のテーマは「グレートリセット」でした。グレートリセットとは、コロナ禍を契機に露呈した社会や経済などの矛盾を見直し、あらゆる仕組みをリセットして改善することを意味しています。

現在の社会や経済の弊害の中には、気候変動、地球温暖化問題も含まれています。グレートリセットしないと、地球の持続可能性も保障されないという危機感が背景にあります。

「今、行動を起こして社会をリセットしなければ、私たちの未来は深刻なダメージを受ける」

WEF会長のクラウス・シュワブは著書「COVID-19:The Great Reset(邦題「グレートリセット」)」の結論にそう記して警鐘を鳴らしています。

コロナ後に世界が発展するためには、GDP基準の量的拡大を目指すのではなく、全ての人々の幸福と地球の持続可能性を重視した政策が必要と説きます。

さらにシュワブは「経済をより公平で環境に優しい形に変えるチャンス」「歴史を見ると感染症はグレートリセット、国の経済や社会機構を組み直す大きな契機となってきた」「社会全体がここで一度立ち止まり、本当に価値があるものは何かを冷静に見つめ直す契機が訪れた」と記しています。

アムステルダム市は地球の持続可能性を公共政策の決定基準として正式に導入することを世界で初めて決定しました。この基準はドーナツエコノミーと言われ始めました。

この基準は2つの円(輪)で表現され、内側の円は人々が幸せに生活するために最低限必要な政策を表し、外側の円は地球システム科学の専門家が定義する生態学的境界です。

生態学的境界とは、気候、土壌、海洋、オゾン層、真水や生物多様性等の地球環境に悪影響を及ぼさないために、人間活動が絶対に超えてはいけない一線を示します。

2つの円の間の領域がスイートスポット(ドーナツの中身の部分)で、人間の経済活動や公共政策はこの範囲で行われなければならないと定義しました。生物が生存可能な太陽系のハビタブルゾーンに似ています。

2.世界幸福度ランキング

人々の幸福度はGDPだけでは測れません。新たな挑戦をする実例も出てきました。2019年、ニュージーランドは「幸福予算」と呼ぶ新しい予算の枠組を創設しました。

ジャシンダ・アーダーン首相は、この予算を精神衛生、子どもの貧困や家庭内暴力といった社会問題に対処するために使用すると決定し、公共政策の達成目標に「幸福」という概念を導入しました。

幸福度はGDPで定義される富のレベルだけでは決まりません。幸福度は、富や物的消費の多さより、利用可能な医療等の公共サービスの充実度や社会の安定性等の無形要素も影響しています。

2008年、ブータンのジグミ・ティンレイ首相が国連総会の演説で「GNH(国民総幸福、Gross National Happiness)」という新しい概念を紹介しました。世界がリーマンショックで右往左往している真っ只中でした。

成長至上主義、市場万能主義に対するアンチテーゼとなり、先進各国やグローバリズム、新自由主義に対する強烈なメッセージでした。

ヒマラヤに抱かれ、伝統文化を守る神秘的で清貧な国からのメッセージであったため、強烈な印象を受けたことを記憶しています。

GDPは生産活動や経済活動が対象であり、物質主義的な豊かさを数値化しています。GDPには格差や不公正は反映されておらず、非経済的な要素も加味されていません。したがって、GDPだけで国民の幸福度や社会的公正は評価できません。

一方、GNHは幸福度を示す尺度であり、幸せや豊かさを感じる心理を数値化しています。

もともとは1972年、ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王の提唱で初めて調査され、以後、国の政策に活用されました。国民1人当たりの幸福を最大化することによって、社会全体の幸福を最大化することを目指しています。

ブータンでも国際化が急速に進む中、ブータンでは当たり前であった価値観を改めて指標化し、国の運営に反映する必要があったと聞きます。

2年ごとに人口(約70万人)の約1%に聞き取り調査を実施。合計72項目の指標に1人あたり5時間の面談を行い、これを数値化して、統計処理を行い、経年変化や地域の特徴、世代特性等を把握します。

調査項目は、心理的幸福、健康、教育、文化、環境、コミュニティ、良い統治、生活水準、自分の時間の使い方の9つのカテゴリーに分類されます。

GDPでは計測や判断ができない項目の典型例が心理的幸福です。正・負の感情(正の感情が、寛容、満足、慈愛、負の感情が怒り、不満、嫉妬)を心に抱いた頻度をヒアリングし、国民感情を示す地図を作成。どの地域の、どのような境遇の国民が、どのような感情を抱いているかが判別できるそうです。

GNHに対する批判もあります。例えば、質問項目の恣意性、誘導性です。GNHは幸福の主観的判定を誘導すること、政府が国益に沿うようにGNHを定義することも可能であり、GNHの測定は非科学的であるとの指摘もあります。

そういう批判を理解したうえでも、グレートリセットが叫ばれる中、社会や経済、そして公共政策は、新しい価値観や判断基準に挑戦していく局面です。

国連も世界幸福度ランキングを公表するようになりました。2020年版のランキングベスト10は、北欧4ヶ国を含む欧州が9ヶ国、欧州以外はニュージーランドだけ。日本は韓国61位より劣る62位。GDP世界2位の中国は94位です。

3月20日に公表された2021年版では、日本は順位を上げたものの56位。韓国62位、中国84位。フィンランドは4年連続世界一。ベストテンの顔ぶれは不動です。

ブータン国立研究所所長であるカルマ・ウラは、GNHについて次のように述べています。

「経済成長率が高い国や医療が高度な国、消費や所得が多い国の人々は本当に幸せだろうか。先進国でうつ病に悩む人が多いのはなぜか。地球環境を破壊しながら成長を遂げて、豊かな社会は訪れるのか。他者とのつながり、自由な時間、自然とのふれあいは人間が安心して暮らす中で欠かせない要素だ。GDPの巨大な幻想に気づく時が来ているのではないか。」

3.シューマッハとローマクラブ

1966年、ドイツ生まれの英国の経済学者、エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハは仏教経済学を提唱しました。シューマッハはジョン・メイナード・ケインズに師事しており、本来の専門は近代経済学です。

イギリス石炭公社の経済顧問を務めていたシューマッハは、1955年にビルマ政府の招聘で同国を訪れた際、仏教徒の生活に感銘を受け、仏教の考え方、とくに八正道に基づく仏教経済学を提唱しました。

仏教は少欲知足や、物質を含めたあらゆる事物に執着しないこと、非暴力等を勧めています。

そのため、簡素(少欲知足、無執着)と非暴力を基本とする社会システム、「最少消費で最大幸福」を得ることを目的とし、自己利益だけではなく、他者の利益も考える社会や経済を推奨しています。

こうした仏教主義に対し、資本主義は物質の消費量を幸福の指標とし、自己利益、自己の効用の最大化を目的としています。

仏教主義と資本主義は対極をなす経済思想とも言え、「最少消費で最大幸福」と「最大多数の最大幸福」は対比されるべき概念です。

また、石炭公社勤務の経験と経済学者としての知見から、化石燃料の枯渇や弊害を予測し、警鐘を鳴らしました。

1973年に出版した著書「スモール・イズ・ビューティフル」で予想したエネルギー危機が第1次石油ショックとして的中し、同書は世界で注目を浴びて各国語に翻訳されました。

シューマッハは、大量消費を幸福度の指標とする現代経済学と科学万能主義に疑問を呈し、先進国から発展途上国への技術支援のあり方として、現地の環境に適した「中間技術(適正技術)」の必要性を説いています。

「中間技術」とは、環境破壊をせず、循環型の資源利用を促す技術、人間と自然が共存可能な技術という解釈が可能です。

シューマッハの理論や思想は十分に研究されていないものの、エコロジー経済、循環型社会を目指す経済思想、経済政策体系と言えます。

コロナ禍がグレートリセットの訴えにつながり、現時点において、人間はシューマッハやローマクラブが鳴らした警鐘に漸く応えようとしているように思えます。具体的な成果につながるか否かは、未知数です。

ローマクラブは1970年に設立された民間シンクタンクです。イタリアのオリベッティ社会長アウレリオ・ペッチェイと英国人科学者アレクサンダー・キングが、資源・人口・軍拡・経済・環境破壊等の地球的課題に対処することを目指して設立しました。

本部はスイス。1968年、世界各国の科学者・経済人・教育者・各分野の学識経験者等の約100人がローマで準備会合を開催したことからローマクラブという名称になりました。

ローマクラブが資源と地球の有限性に着目し、1972年にまとめた研究報告書の中で言及した概念が「成長の限界」です。

同報告書は、人口増加や環境汚染等の傾向が改善されなければ、100年以内に成長は限界に達すると警鐘を鳴らしました。

人間は「成長の限界」を超えるため、科学技術を進歩させ、開発と貿易による発展を追求し、結果的に問題をさらに深刻化させ、むしろ「成長の限界」リスクを高めていると指摘しました。

報告書の中に有名になった一文があります。曰く「人は幾何級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」。

子供が生まれてその子供がまた子供を生むため、人間は「掛け算」で増えていきます。一方、食料は同じ土地では年1回、同じ量しか生産できません。つまり、食料供給量は「足し算」でしか増やせない。この点を踏まえた警句です。

この文のオリジナルはトマス・ロバート・マルサスの著書「人口論」に登場します。人間は、マルサスやローマクラブの警鐘に応え得るでしょうか。

「100年以内に成長は限界に達する」とのローマクラブの警鐘から51年目に入りました。

現時点においてもなお、人間は食料不足も遺伝子工学や人工栽培等の科学技術で乗り切れると過信しているように見受けられます。

ローマクラブは現在も活動を続けており、日本支部は何と中部大学の中に設置されているそうです。先日のFacebookライブ「三耕探究」の中で、同大学の古澤先生から教えていただきました。

(了)

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