政治経済レポート:OKマガジン(Vol.455)2021.1.29

前号からのインターバルが短いですが、455号をお送りします。毎年恒例のユーラシアグループの「世界10大政治リスク」と世界終末時計の「残り時間」。メルマガで一緒にお伝えしようと思っていたところ、「残り時間」がなかなか発表されず、このタイミングとなりました。27日、ようやく発表。おそらく「残り時間」を減らすか否か、議論があったのだと思います。まずは「世界10大政治リスク」からです。


1.米国の分断

ユーラシアグループは1998年に政治学者イアン・ブレマーが設立した政治リスク専門のコンサルティング会社。

毎年年初に同社が発表する世界の10大政治リスク。約10年前、僕自身が毎年1月に開催するセミナーで紹介し始めた頃は知らない人が多かったですが、最近はニュースやマーケットの材料にもなり、定着しました。

1月5日、今年の10大リスクが発表されました。第1位は「米国の分断」。バイデン政権発足後も、トランプ支持派が息を吹き返し、米国が混乱することを懸念しています。

第2位は「コロナ問題長期化」。ワクチン接種が円滑に進まず、パンデミックも続き、高水準の財政赤字、失業等、世界に深刻な負の遺産を残すと予想しています。

第3位は「グリーン化」。主要国がカーボンニュートラルの方向に向かっていますが、あまりに野心的な気候変動対策は企業や投資家のコスト増になると指摘。グリーン化の過大評価に伴うリスクに警鐘を鳴らしています。

第4位は「米中対立」。トランプ政権は終わったものの、米中対立の基本構造は変わらず、コロナ対策、技術覇権、安全保障を巡って激化を予想。

第5位は「データ競争」。米中対立に伴うネットや技術のデカップリングによって、データを巡る対立が激化。第4位と連動するリスクです。

第6位は「サイバーリスク」。サイバースペースにおける国家や企業の行動ルール構築が前進せず、サイバー攻撃やデータ盗難のリスクが高まると予測。

第7は「トルコ」。昨年は第10位にランクインしていたトルコ、今年はさらにリスクが高まります。経済や民族対立等、国内の不満を外に向けるため、強硬な対外姿勢を示し、国際的緊張を煽るかもしれません。

第8位は「産油国」。世界のグリーン化の流れに影響されて原油安や通貨安が進むと、中東・北アフリカ産油国の動きが波乱要因になると指摘しています。

第9は「メルケル首相退陣」。EU内での強い発言力に加え、対米中関係で存在感を発揮してきたメルケル首相の退陣は、世界の政治バランスに不安定化させると分析しています。

第10位は「中南米」。コロナの感染拡大も影響し、中南米諸国の従来からの政治・社会・経済問題が一段と深刻化。ポピュリズムの台頭や混乱を予想しています。

次は、1月27日に発表された世界終末時計の残り時間。まずは世界終末時計について復習です。

世界終末時計(Doomsday clock)とは、核戦争等による人類絶滅(終末)を午前0時に準(なぞら)え、終末までの残り時間を「あと何分」と示す時計のことです。

日本への原爆投下から2年後、冷戦時代初期の1947年に米国の科学者等が危機を感じて始めた企画です。具体的には米国「原子力科学者会報」の表紙絵として誕生しました。

原子力科学者会は原爆を開発したマンハッタン計画の参加者等が中心となって組織され、「原子力科学者会報」では核兵器の危険性について警鐘を鳴らしています。

開発して警鐘を鳴らすというのも不条理な話ですが、科学者もやってしまったことの重大さに気がついたということです。

終末時計の時刻は、当初、同誌編集主幹のユダヤ系米国人物理学者ユージン・ラビノウィッチが中心となって決めていましたが、同氏の死後は「会報」の科学安全保障委員会が協議し、時間の修正を行っています。

つまり、人類滅亡の危険性が高まれば残り時間が減り、低まれば残り時間が増えます。時計は「会報」の表紙に掲載されますが、シカゴ大学にはオブジェが存在します。

科学安全保障委員会は、ノーベル賞受賞者を含む各国の科学者や有識者等14人で構成されています。過去最長は17分。最初は残り7分(1947年)からスタートしました。

2.残り100秒とババ・ヴァンガ

その後、ソ連が核実験に成功し、核兵器開発競争が始まったことを悲観して4分短縮して残り3分(1949年)。米ソ両国が水爆実験に成功した1953年には2分になりました。

科学者によるパグウォッシュ会議が開催されるようになり、米ソ国交回復が実現すると5分戻って7分(1960年)。さらに米ソが部分的核実験禁止条約に調印して12分(1963年)。

しかし、フランスと中国が核実験に成功し、第3次中東戦争、ベトナム戦争、第2次印パ戦争が発生すると再び7分に短縮(1968年)。

米国が核拡散防止条約を批准すると3分戻って10分(1969年)。米ソがSALT(第1次戦略兵器制限交渉)とABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約を締結して12分(1972年)。

ところがその後、米ソ交渉が難航し、MIRV(複数核弾頭弾)配備、インドの核実験成功によって3分短縮されて9分(1974年)。

米ソ対立激化、国家主義的地域紛争の頻発、テロリストの脅威拡大、南北問題、イラン・イラク戦争等によってさらに短縮されて7分(1980年)。

軍拡競争に加え、アフガニスタン、ポーランド、南アフリカ等における人権抑圧等も反映して短縮が進み残り、4分(1981年)。さらに米ソ軍拡競争激化で3分(1984年)。

ところが、米ソ中距離核戦力(INF)廃棄条約締結で3分戻り、6分(1988年)。湾岸戦争はあったものの、冷戦終結でさらに4分戻って10分(1990年)。ソ連崩壊で7分戻って17分(1991年)。過去最長となって、最も人類滅亡の危機が遠のきました。

しかし、そこからは短縮の一途。ソ連崩壊後もロシアに残る核兵器の不安で14分(1995年)。インドとパキスタンが相次いで核兵器保有を宣言して9分(1998年)。

米国同時多発テロ、米国ABM条約脱退、テロリストによる大量破壊兵器使用の懸念から7分(2002年)。北朝鮮核実験、イラン核開発、地球温暖化進行で5分(2007年)。

オバマ大統領による核廃絶運動で1分戻って6分(2010年)となったのも束の間、核兵器拡散の危険性増大、福島原発事故を背景とした安全性懸念から再び5分(2012年)。さらに気候変動や核軍拡競争のため3分(2015年)。

そしてトランプ大統領が登場した2017年。残り時間が少ない中で、30秒短縮されて残り2分30秒となり、トランプ劇場がスタート。

翌2018年、「会報」の科学安全保障委員会は「冷戦時よりも危険な状態」と認定し、前年からさらに30秒短縮して2分。1953年の過去最短、過去最悪に並びました。

北朝鮮やイラクの核兵器開発が露呈したうえ、気候変動問題も深刻化する中でトランプ大統領がパリ協定離脱方針を発表したことなどが影響しました。

2019年は残り2分に据え置かれたものの、科学安全保障委員会のメンバーは「もう手遅れだ、みなさんさようなら」との絶望的コメント。

米国は11月4日にパリ協定正式離脱を表明。それに先立つ8月2日、中露に対抗して、米国は中距離核戦力(INF)廃棄条約も脱退。

そして2020年1月23日、残り時間はとうとう秒単位で表現される段階に入り、「残り100秒」と発表されました。

昨年の世界の展開は記憶に新しいところです。何と言ってもコロナパンデミック、米国大統領選挙、そして香港騒乱もありました。

2021年1月27日、残り時間は100秒に据え置かれましたが、「パンデミック危機において、各国政府は科学的助言を無視し、人々の健康を守ることに失敗した。核兵器や気候変動という人類の脅威に対処する準備もできていない」との声明も発表されました。

かつて一世を風靡したノストラダムス(1503年生、66年没)の大予言に照らすとどうなるか興味深いところですが、ブルガリアの大予言者ババ・ヴァンガ(1911年生、96年没)は21世紀初頭に第3次世界大戦が勃発すると予言しています。

「ババ」はブルガリア語で「おばあちゃん」の意味。欧州では信奉者が少なくありません。子供の時に竜巻に飲み込まれ、激しい砂嵐で両目を失明。以来、予知能力を発揮。生前本人は「不思議な生き物が未来の出来事を教えてくれる」と話していたそうです。

2021年は「世界10大政治リスク」の顕現化で、来年の残り時間がさらに短縮されることのないようにしたいものです。日本としても貢献しなくてはなりません。

3.教育の語源

日本が貢献するためには、国際社会の構造変化、気候変動、技術革新、コロナ対策等に知見や能力を発揮できる人材が必要です。

現役世代も頑張らなくてはなりませんが、若者や次世代にも期待します。スウェーデンのグレタ・トゥンベリさんのように、若くても世界に影響を及ぼせます。年齢や世代に関係なく、それぞれの立場で努力が必要です。

そうした状況を生み出すためには、教育が重要です。しかし、日本の教育の危機が叫ばれ始めて久しく、大学受験問題のみならず、小中高生の学力低下、ポスドク問題に端を発した大学院進学者急減、研究レベル劣化等々、教育に関する懸念は深刻化しています。

過去10数年来、ノーベル賞受賞者は増えましたが、受章者が口を揃えて訴えるのは「このままでは日本から受章者は出なくなる」との危機感。

教育や研究に対する予算配分が先進国最低であること、その背景として政治や行政の取組姿勢に最大の原因があることは疑いないですが、そもそも「日本の教育の考え方は今のままでいいのか」という根本から問い直す必要があります。

教育とは何か。漢語として「教育」が初登場するのは紀元前3世紀頃の「孟子」。「得天下英才、而教育之、三楽也」(天下の英才を得て、而して之を教育するは、三の楽しみなり)と記されています。

転じて幕末、明治維新。英語が和訳される過程でeducationが「教育」と訳されたため、教育関係者からeducationの語源に絡めて次のような教育論を時々聞きます。

educationの語源はラテン語educatioとされ、このラテン語に「引き出す」という意味があることから「教育とは個性や能力を引き出すこと」との主張です。

他国に比べて創造性や自発性の面で劣る日本の教育、暗記・詰め込み・画一教育の弊害を指摘する立場からは説得力があります。

全国的には知られていない秋田公立美術大学という大学の研究紀要(論文集)の中に興味深い論文(2015年)を発見しました。

結論的に言うとラテン語educatiの動詞形であeducare(エドゥカーレ)の意味は「育てる」であって「引き出す」という意味ではないとのことです。

「引き出す」の意味のラテン語はeducere(エドゥケーレ)。これが、英語の動詞で「引き出す」の意味があるeduceの語源だそうです。論文はこうした誤用に基づく教育論が生まれた原因についても分析しています。

結論的に言えば、19世紀英国で「オックスフォード英語辞典(The Oxford English Dictionary<以下OED>)」の編纂が行われた際、詩人・哲学者であるサミュエル・テイラー・コールリッジ(1772年生、1834年没)の影響を受けたと結論づけています。

コールリッジは宗教教育によるモラルを重視し、「教育」を「人間精神の能力を引き出すこと」と定義づけ、その文脈の用例がOEDに記載されました。

具体的には、OED(第1版)における名詞educationの項に動詞educateへの参照が記され、educateの項では語源となったラテン語として2つの動詞educereとeducareを掲載。

そのうえでこの2つの動詞を「時にほぼ同義で用いられる」と説明し、さらにコールリッジによる引用文が記されました。

「引き出す営みとしての教育」という考えはコールリッジの講演・著作に頻出するものである一方、educereとeducareは本来無関係の動詞でした。

コールリッジが OEDの主宰者や編集者と密接に交流し、大きな影響力を持っていたことが、この部分でコールリッジの影響を強く受けた原因と推測しています。

さらに「引き出す」対象(目的語)となっている「個性」「能力」といった概念は、ラテン語動詞とは何の関係もありません。

秋田公立美術大学の論文が、語源論に一石投じたかったのか、教育とは「引き出すこと」という教育論に一石投じたかったのか、あるいはその先に「教育とは教えること」等の別論に軸足を置きたかったのか等々、その意図はわかりません。

この手の議論(つまり英語の語源論に基づく教育論)は幕末・明治維新を経た近代化の影響です。

もはや教育論を英語の語源論から説き起こしている場合ではありません。幕末・明治維新、戦後の高度成長等、過去の歴史観や固定観念に囚われた発想からの脱却が必要です。

語源が何であれ、世界の覇権構造が激変している中で、自ら生き抜いていける人材、新たな課題に対処できる人材、内外の平和と繁栄に貢献できる人材が、教育の結果として一人でも多く誕生することが肝要です。

今という時代を冷静に認識し、日本の教育は何を目指し、どう行っていくか、その点を深めたうえでの教育論が必要であり、もはや語源論の時代ではないでしょう。

「世界の10大政治リスク」が軽減し、世界終末時計の「残り時間」が長くなることに、日本及び日本人が貢献できるよう、僕も頑張ります。

(了)

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