3月27日、英国のボリス・ジョンソン首相が新型コロナウィルスに感染し、隔離生活を送りながら執務を行っています。英国ではマット・ハンコック保健・社会福祉相も感染したほか、マリア・テレサ王女が逝去。3月30日、日本では志村けんさんが亡くなりました。心からご冥福をお祈りします。新型コロナウィルス感染症対策の考え方を整理します。
新型コロナウィルス感染症拡大のため、英国ジョンソン首相は3月23日から3週間のロックダウン(都市封鎖)に踏み切りました。
それに先立つ3月12日に発表した声明が物議を醸しました。声明の中でジョンソン首相は「感染によって多くの国民が家族や友人を失う」と明言。内外の医療関係者は英国が「集団免疫」戦略を採用したと受け止めたからです。
英国のマスコミは、「集団免疫」戦略を採用した場合、人口の約6割が感染し、約5%に当たる200万人が重症となり、0.7%の約27万人が死亡するとの予測を報じました。
では「集団免疫」とは何か。病原体(細菌やウィルス等)による感染症への免疫を獲得する方法は、第1に感染症からの回復、第2にワクチン予防接種。基本的にこの2通りです。
新型コロナウィルスは未知の病原体のため、その特性は未解明であり、現時点でワクチンや治療法はありません。そのため、第2の方法はとり得ません。
したがって、現時点で新型コロナウィルスに対する免疫獲得の唯一の方法は実際に感染すること。つまり第1の方法です。
感染しても発症しない人、発症後に回復した人は、免疫を獲得します。免疫を獲得した人の体内ではウィルスは増殖できません。免疫獲得者は、同じウィルスで体調が悪化することも、他の人にうつすこともありません。
そうした人たちの割合が多くなると、未感染者や免疫のない人がウィルスに感染する「確率」が低下。そのような状況を「社会全体が『集団免疫』を有している」と表現するそうです。
コミュニティにおいて特定のウィルスの免疫を有する人の割合が一定値に達すると、「集団免疫」によって当該コミュニティからそのウィルスによる感染症が排除されます。
この排除が世界中で達成されれば、感染は発生しなくなり、撲滅または根絶と呼ばれる状態に到達します。天然痘は「集団免疫」によって1977年に根絶されました。
天然痘根絶はワクチン接種によって多くの人が免疫を獲得したからです。つまり、上述の第2の方法。しかし、新型コロナウィルスには現時点でワクチンがないため、免疫を獲得するには第1の方法、すなわち実際に感染するしかありません。
なぜ、ジョンソン首相は「集団免疫」戦略を採用したと受け止められたのか。それは「感染によって多くの国民が家族や友人を失う」と明言したからです。
社会全体が「集団免疫」を獲得するには、大勢の人が感染して免疫を獲得しなければならず、その過程で一定割合の人が重症化して死亡することを前提としているからです。
人口の何割程度が免疫を持てば「集団免疫」効果が発生するかは理論上計算できるそうです。その「閾(しきい)値」が人口の約6割。そのため、英国人の約27万人が死亡するという上述のマスコミ報道につながりました。
「集団免疫(herd immunity)」という用語はマウスの群れの疾患研究において1923年に登場。1930年代には、多くの子どもが麻疹(はしか)の免疫を獲得すると、免疫を持たない子どもの感染率が低下することが観察され、1960年代に麻疹ワクチンの集団予防接種が始まりました。
では、ジョンソン首相はなぜ「集団免疫」戦略を採用したのか。筆者なりに専門家の解説等を参考に推測すると、以下のような展開が考えられます。
ワクチンや治療法がない未知の感染症への対策は3段階に分かれます。第1段階は「封じ込め」。発症者を隔離し、感染症の拡大を封じ込めます。
第2段階は「感染速度抑制」。第1段階に失敗した場合、各国で行われているような集会禁止、外出自粛等の行動規制によって感染拡大を抑制し、その間にワクチン開発や治療法確立を進めます。感染ピークを遅らせ、医療崩壊を回避することにもつながります。
第3は「感染根絶」。ワクチンが開発され、治療法も確立すれば、やがては感染症を減らし、究極的には天然痘のように根絶できます。
第1段階に失敗した国々では第2段階に移行。集会禁止、外出自粛等の行動規制を行います。それでもオーバーシュート(感染の爆発的増加)に至る場合、中国、イタリア、スペイン、米国等のようにロックダウン(都市封鎖)を断行。
しかし、第2段階の政策を行うことは、感染者や死者数を抑制できる一方、著しい経済損失を伴います。つまり、感染抑制と経済損失のトレード・オフ状態に陥ります。
仮に感染抑制に成功して行動規制を解除しても、ワクチンや治療法が確立していなければ、結局また感染が発生し、第1段階と第2段階の対策を繰り返さざるを得ません。
ワクチン開発には数ヶ月から1年以上要すると言われており、第2段階の対策を長く続けることはできないと判断したジョンソン首相は、政治的に「集団免疫」戦略を採用したものと推測します。
しかし、英国では「集団免疫」戦略に批判が起き、ジョンソン首相は第2段階の「感染速度抑制」政策を徹底することを表明。戦略転換です。具体的には、感染者や家族の自宅隔離、自宅勤務、学校休校、集会禁止、飲食店等の営業禁止です。
その背景には、3月16日に英国政府の科学アドバイザーであるネール・ファーガソン博士(ロンドン大学感染症疫学研究センター)が公表した報告書が影響しているようです。
報告書は、「集団免疫」戦略によって感染拡大を自然の成り行きに委ねる場合、病院、医師・看護師、ICU(集中治療室)、人口呼吸器等の医療リソースの実状に照らし、約40万人が犠牲になると推定。ジョンソン首相の想定を大きく上回る推定値だったようです。
その結果、ジョンソン首相は自宅隔離、自宅勤務、学校休校、集会禁止、営業禁止等の「社会的隔離政策」を採用。「感染速度抑制」を企図したものであり、他国と同様です。
3月23日には「社会的隔離政策」を強化。ロンドンでは、食料品等以外の店舗は閉鎖、外出は食品購入・軽い運動の1日1回限り、2人以上の集会禁止、違反者には刑事罰・罰金、大半の地下鉄駅封鎖等、他国を上回るものです。
さらに驚くべきは、ロンドン五輪に使用した巨大イベント施設を「NHS(国民健康サービス)ナイチンゲール」という名称の臨時医療施設にすることを発表。言わば野戦病院。病床4000、人工呼吸器500に加え、2つの遺体安置処を設置。医療崩壊を想定した対応です。
英国第2の都市バーミンガムでも、空港隣接イベント施設に野戦病院を設営し、空港内に1500体分の遺体収容施設を設置。収容能力は12000体まで拡張可能と聞きます。
こうした準備に加え、もうひとつ注目すべきは「抗体検査」戦略にも着手し、350万人分の「抗体検査キット」を発注しました。
「抗体検査」とは何か。上述のとおり、一度感染した人は免疫を獲得しています。免疫はウィルスに対する抗体によって生じています。その抗体を有しているか否か、つまり既に感染済であるか否かを調べるのが「抗体検査」です。
私は専門家ではありませんが、今後の対応を考えるうえで避けて通れない大事な話なので、自分なりに整理しておきます。
病原体には細菌、ウィルス等がありますが、細菌は自力で複製し、子孫を残す能力がある一方、ウィルスは自力で複製し、子孫を残すことができないため、他の生物、例えば人間に感染、寄生することで生き永らえ、子孫を残します。抗体のある人は、侵入したウィルスの活動が免疫によって阻害され、ウィルスはやがて減少し、最後は死滅します。
ウィルス感染から約1週間で人間の体はウィルスに対する抗体を生成し、血液検査で検出できるようになります。初期段階の抗体「免疫グロブリンM(IgM)」は免疫反応には不可欠の抗体ですが、ウィルスと戦う力は弱いそうです。
その後さらに約1週間で、より成熟した抗体である「免疫グロブリンG(IgG)」を生成。この抗体は戦う力が強く、ウィルスを無効化(中和)します。免疫細胞に働きかけてウィルスを体内から除き、感染者を回復させます。中和抗体とも呼ばれます。
感染者がほぼ治癒する頃には、血液中には成熟したIgG抗体だけが残り、初期段階のIgM抗体は検出されなくなります。抗体は個々のウィルスに特異なものです。
つまり、感染者の血液中の抗体を検査することで、免疫や治癒の状況を知ることができます。検査対象者が「最近感染したのか」「感染して治癒したのか(免疫獲得)」「未感染なのか」を判定できるそうです。
一躍有名になった「PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査」は、採取した粘液を使ってウィルスの有無を判定します。つまり、現在ウィルスを持っているか否かの検査。今日は陰性でも明日感染するかもしれません。今日の安心材料にしかなりません。
「PCR検査」と「抗体検査」の相違点を整理しておきます。「PCR検査」は粘液採取を行う医療従事者に感染の危険を伴います。「抗体検査」は指から採る少量の血液を用いるので、自分でも採血・検査が可能であり、医療従事者に感染リスクはありません。結果判明までの時間は、「PCR検査」は数時間から数日、「抗体検査」は数分間です。
「抗体検査」では、無症状でも過去に感染した人は陽性になり、感染履歴がわかります。そして、「抗体検査」で陽性の人は「当面は大丈夫」である可能性が高いということです。
論理的には、「PCR検査」が陰性、「抗体検査」が陽性の人は「既に感染済で今は回復し、ウィルスも死滅している」ので、安心して外出や労働ができる人ということになります。
英国は「抗体検査」を今後の対策に活用するようですが、もちろん課題もあります。第1に、陽性者は「当面は大丈夫」という推定は、他の既知の感染症を参考にしたものです。未知の新型コロナウィルスも同様である保証はありません。
第2に、「抗体検査」の信頼性。「抗体検査」は発症から数日しないと陽性にならず、判定結果の精度は「PCR検査」の方が「抗体検査」より高いそうです。
とは言え、「PCR検査」で陰性、「抗体検査」で陽性の人は、うつす心配もうつされる心配もなく、安心して仕事に復帰できます。
欧米諸国では医療関係者の感染・死亡が増加していることから、少なくとも医療関係者の「PCR検査」陰性、「抗体検査」陽性を確認することは急務だと思います。
「抗体検査」によって抗体保有者が把握できれば、抗体保有者から血清を採取し、重症患者に投与することも可能になります。
3月24日、米国食品医薬品局(FDA)は回復した感染者から血清を採取し、重症患者に投与する方針を発表。回復した感染者の血液中にはウィルスに対する「中和抗体」が生成されており、それを重症患者に投与して免疫機能を強化する治療法です。
新型コロナウィルス感染症に対する有効な治療薬、治療法が存在しない状況下、FDAは臨床研究の位置づけで血清療法開始を決断。感染者が急増しているニューヨーク州で先週から実施されているとの情報が入っています。
3月9日、横浜市立大学の研究チームが新型コロナウィルス感染症の患者の血清から抗体検出に成功しました。報道によれば、30分程度で抗体を検出可能なようです。日本でも臨床治療への活用が急がれます。
以上の整理と諸情報に基づけば、新型コロナウィルス感染症に対して下記のような基本方針で臨むことが合理的と考えられます。
第1に、特定されたクラスター(患者群)等を対象に徹底した「封じ込め」対策を行う。
第2に、感染経路不明の感染者が増加している状況下、「感染速度抑制」対策として、入国管理政策のほかに、外出自粛等の行動規制を伴う社会政策を行う。
第3に、「PCR検査」の能力増強、及び「抗体検査」「血清療法」の実施に向けた準備を進める。「PCR検査」「抗体検査」「血清療法」に十分な資金と人材を投入する。
第4に、上記第3の準備ができ次第、「PCR検査」と「抗体検査」を併用。「PCR検査」陰性、「抗体検査」陽性の人は、本人の感染リスクも他者に感染させるリスクもないことから、行動規制の対象としない。また、抗体保有者の血清を用いた治療も行う。
第5に、その間にワクチン開発に十分な資金と人材を投入し、一刻も早い完成を目指す。
第6に、上記の対応が効果を発揮するまでの間、徹底した経済対策を行い、感染症「根絶」前の経済破綻を防ぐ。十分な収入保障は行動規制遵守を担保することから、「経済対策は感染対策でもある」との認識が必要である。
以上のとおりですが、こうした基本方針が有効に機能するためには、「PCR検査」「抗体検査」「血清療法」等に関する国民の正確かつ冷静な理解が必要です。
「抗体検査」による陽性者(感染済者)数は相当の数に上ることが予想されますが、その事実を国民が冷静に受け止めることが肝要です。「抗体検査」陽性者が多いということは、致死率が低下することと同義です。そうした因果関係を理解してもらう必要があります。
なお、国民全体に「抗体検査」を行うには大量の「抗体検査キット」を用意する必要があります。まずは一部の自治体等で試験的に行うのが現実的です。米国でもコロラド州の小規模自治体で試験的に実施しているようです。
冒頭で記したように、英国ジョンソン首相は「集団免疫」戦略から「感染速度抑制」戦略に転換しました。感染拡大を遅らせ、医療リソースへの負荷を減らすことを企図しています。
同時に「PCR検査」「抗体検査」の違いを理解し、国民に「ステイ・アット・ホーム(家にいろ)」と訴え、重症化しない限り「PCR検査」を実施しない方針とも聞きます。
3月25日、オックスフォード大学研究チームが「19日時点で英国総人口の68%が既に感染している」とする論文を発表。メンバーのひとりであるポール・クレナーマン教授(免疫学)は「大規模な抗体検査の必要性を強調するのが目的」と説明しています。
ワクチンが完成するのは早くて年末、おそらく1年後と言われています。その間、経済活動をストップさせ続ければ感染症よりも深刻な社会的被害が発生することは必至。
日本でも今一度「封じ込め」「感染速度抑制」「根絶」の3段階の対策の使い分け、「PCR検査」「抗体検査」「血清療法」「ワクチン開発」の時間軸を整理し、論理的な戦略で新型コロナウィルスと向き合うことが肝要です。
(了)