年金制度改革法案が可決されました。年金制度の現状について、政府はもっと正直に国民と国会に説明することが必要です。手品のような改革を何度行っても、所詮はトリックに過ぎません。なぜ手品なのかは、以下で述べます。
今回の年金制度改革で、年金受給額削減に関する新たなルールが定められました。ポイントはふたつ。第1は、物価や賃金の変動に対する年金受給額の見直し方。
結論的には、現役世代(将来の受給世代)の賃金減少時に、リタイア世代の年金受給額も減らすことになりました。
これまでは、物価変動に対して年金受給額を見直す仕組みでした。現役世代の賃金が減少しても、物価が上昇していれば、リタイア世代の年金受給額を増加させるということです。
2004年の年金制度改革において、物価上昇時に物価上昇率ほどには年金受給額を増加させない(0.9%ポイント分控除)こと、物価下落時には年金受給額を減らさないことを決定。いわゆる「マクロ経済スライド」です。
その2004年ルールに、現役世代の賃金動向も勘案することにしたのが今回の変更であり、賛否両論あります。
「現役世代の賃金が減少している時に、リタイア世代が痛みを共有するのは当然」というのが賛成論者の心情的な論拠のひとつ。
そう言われると「そりゃそうだ」という気持ちになる人も多いでしょうが、この対応は、年金制度の根幹の変質に繋がります。
現在の年金制度について、政府は国民に対して「年金受給額は現役時代の所得の一定割合を保障する」という「所得代替率」を重要な基準として説明してきました。
所得代替率という考え方を放棄し、現役世代の賃金動向に連動する年金制度に変更するのであれば、国民に対して年金制度の基本理念の変更であることを明らかにすべきでしょう。
現在の年金受給額の所得代替率が高すぎるので、それを調整するために一定のスケジュールで減額していくということであれば、是非は別にして、考え方としては整合的です。
第2は、「マクロ経済スライド」の強化。2004年以前は、物価や賃金が上昇していく局面では、その上昇に合わせて年金受給額も増やす仕組み。つまり「物価スライド」です。
2004年において、その増加分を抑制する仕組みとして導入したのが「マクロ経済スライド」。要するに、物価上昇時には現役世代の賃金も上昇することを前提としつつ、リタイア世代の年金受給額は同じようには増やさないことにしました。
しかし、その後は物価や賃金が上昇しない年が続いたため、導入以来、「マクロ経済スライド」が実施されたのは1度だけ。
今回の改革では、物価が低迷する景気悪化時には年金受給額引下げを凍結しつつ、物価上昇時にその分もまとめて年金受給額上昇を抑制することにしました。
簡単に言えば、年金受給額を減らすべき時に減らせなかった分は、景気が好転して物価や賃金が上昇した時に調整するという仕組みです。
ポイントの第1点(所得代替率の放棄)に比べると相対的に合理性があるものの、物価上昇時の減額インパクトが大きく、実際には発動できなくなるような気がします。
2004年導入の「マクロ経済スライド」では、年金受給額抑制だけでなく、年金財政収支改善の観点から年金保険料についても漸増させることとしました。
具体的には2017年度まで毎年4月に年金保険料率を引上げ、最終的に厚生年金で18.3%。国民年金保険料も段階的に引上げて16900円。来年はその水準に達します。
それを目前に控えての今回の年金制度改革。論点はたくさんあるものの、国民に対して決定的に説明不足な点が3つあります。
第1は、そもそも2004年改革の際に「100年安心の年金制度」と称していたこととの整合性。強硬採決までして成立させたのは「100年安心」の年金制度だったはずです。
それから僅か12年。100年までにまだ88年あります。2004年に、これで「100年安心」と説明していたのは何だったのでしょうか。国民に対する十分な説明が必要です。
第2は、改革の前提条件(経済指標)。今回の改革は2014年の年金財政検証を基に行われていますが、その前提条件が何とも非現実的。
今後2100年まで毎年物価が1.2%上昇し、賃金も1.3%上昇し続けるという前提。その間の88年間の運用利回りは実質3.0%、名目4.2%。現在の状況を考えると、いずれも極めて甘く、非現実的、夢物語、手品です。
マイナス金利まで行っている日銀の異次元緩和、つまり、金融緩和が底なし沼にはまっている(出口に向かえそうもない)現状を考えると、名目4.2%の運用利回りは空想の世界。
そもそも「100年安心」と称した2004年改革時の前提条件も大外れ。2008年までは物価上昇率、賃金上昇率の毎年の想定値を置いていたものの、実績が想定値に達したことは1度もなし。
2009年以降2100年までは、物価上昇率1.0%、名目賃金上昇率2.1%(実質1.1%)、名目運用利回り3.2%がずっと続くと想定したものの、実績が想定値に達したことはほとんど皆無。
この想定が僅か12年で破綻したにも関わらず、その二番煎じのような今回の対応は如何にも不誠実。暫くしたら再見直しは必至でしょう。
第3は、今回の改革は「現役世代にプラス」との謳い文句。説明としてはミスリードです。
年金財政収支が少し改善されるのは事実ですが、それをもって現役世代の将来の受給額水準を保障するものではありません。
リタイア世代の年金受給額が引下げられれば、同時に、現役世代の受給開始時の水準(言わば発射台)も低くなることを意味します。
年金財源(ファンド)的な観点と、個々人の年金受給額的な観点では、今回の改革の意味は本質的に異なるのです。
こうした事実について十分に説明しない中で、「現役世代のため」「将来の年金制度の安定につながる」と表現することは、意図的に誤解と幻想を生み出していると言えます。
一部の新聞やテレビニュースは完全にこのミスリード情報を垂れ流していますが、客観的な報道とは言えません。
現在の年金制度のままでは、年金財政の維持可能性は保障されないという事実を与野党で共有すべきです。非現実的な手品のような前提条件で何度改革を行っても、事実は変えられません。
過去の年金制度構築の失敗、積立金の浪費(今や忘れかけられている過去の年金官僚や政治家による年金積立金の流用)といった問題に蓋をしたまま、受給者に不利益を与え、年金制度の趣旨を逸脱し、単に年金財政の維持可能年限を伸ばそうとするに過ぎません。
選択肢は2つ。第1は、年金制度の理念や基準を変えることを国民に十分に説明したうえで、与野党合意の下、一元化等の抜本的改革を行うこと。
第2は、現行年金制度の基本構造を維持しつつ、所得代替率や現役世代の将来の受給額水準を維持するために、他の分野の歳出を削ってでも、年金財源を確保すること。
あるいは両者の折衷案も可能。その際「年金国債」等の新たな仕組みも工夫すべきです。その私案は「エコノミスト(2004年4月27日号)」誌上で公表しています。
日銀の異次元緩和で財政ファイナンスや事実上のヘリコプターマネー政策を行っている現状を考えると、「年金国債」は当時よりも現実性が高まっています。
「100年安心」と称して僅か12年で前言を翻したことを鑑みると、想像以上に現行年金制度の維持が困難化しているということです。
本来の目的である老後の生活保障、制度の生命線である所得代替率等の基本理念と遊離した考え方を持ち込む今回の改革を、「年金制度の安定」という表現で説明することは不誠実です。
現役世代の賃金が減少するのは景気悪化の局面。それに合わせてリタイア世代の年金受給額を削減することは、経済全体の消費余力を低下させ、さらに景気を悪化させます。効果としては、景気悪化時の消費税増税と似ています。
そうした観点から考えると、単年度ごとに賃金・物価に連動する仕組み自体が問題であり、今回の改革はそれをさらに助長する内容と言えます。
景気悪化時には現役世代に自動的に減税を行い、実質的な所得水準を維持すると同時に、リタイア世代の年金受給額維持を図ることが経済政策としては合理的です。
言わば、ビルト・イン・スタビライザー(景気安定化機能)。今回の改革は、経済全体への悪影響という視点が決定的に欠けています。
ビルト・イン・スタビライザーも簡単ではありませんが、2004年や今回の年金改革ほど手品的、奇術的ではありません。
手品は古くは「手妻(てづま)」「品玉(しなだま)」と称しましたが、近代以後、西洋のマジックが流入。手品、奇術と言われるようになりました。
マジック用語的に説明すると、今回の年金改革は、遠目に見せるステージアップマジック(大勢を前に行う手品)を演じ、「現役世代のため」「年金制度の安定のため」と信じさせている状況です。
このマジック、クロースアップマジック(少人数で向かい合って行う手品)としては演じません。非現実的な前提条件や、現役世代の個人にとっては決して良いことではない事実がバレてしまいますから。
手品が趣味の友人に教えてもらった「サーストンの鉄則」。米国のマジシャン、ハワード・サーストンという人が述べている手品の鉄則だそうです。
第1に、披露する前に現象を説明してはいけない。第2に、種明かしをしてはいけない。第3に、繰り返してはいけない。
今回の年金手品。これから何が起きるか説明していない、種明かしをしていないという点では2つの鉄則はクリア。
問題は第3の鉄則。2004年、2016年と、同じようなことを繰り返していると、いずれ観客にバレて、大ブーイングでしょう。
厚生労働省の平成27年簡易生命表によると、平均寿命は男性80.79歳、女性87.05歳。総務省の平成27年家計調査によれば、高齢無職世帯の毎月の赤字は平均6万7510円。
夫婦2人の赤字を65歳から夫81歳、夫死後から妻87歳(夫と妻は同い年と仮定)まで累計すると、約1600万円になります。
今回の改革によって年金受給額が減少した場合、この累計額は増加し、その分を貯蓄として準備しておく必要があります。住宅ローン返済負担や重篤疾病時の医療費等を勘案すると、所要額はもっと多くなります。
退職金は大学卒で1941万円。5年前より約300万円減少。これを丸々貯蓄できれば何とか折り合うものの、課税されるので、たぶん足りないでしょう。
手品のような年金改革トリックに振り回されず、自己防衛することが肝要。65歳以後も元気なうちは働くことが一番。老後の備えに手品はありません。
老齢年金を受給しながら厚生年金加入状態で働くと、老齢年金は調整されますが、退職後の老齢厚生年金は加算されます。
年金の繰下げ受給も可能です。受給を1ヶ月遅らせる毎に0.7%加算されますが、配偶者や18歳未満の子どもの加給年金の支給も繰下げられる点には留意が必要です。
逆に、繰上げ受給も可能です。但し、受給を1ヶ月早める毎に0.5%減算されるほか、障害年金や妻の寡婦年金が受給できなくなる点には留意が必要です。
老齢年金以外の公的給付金制度も熟知しておくと良いでしょう。高年齢雇用継続給付(60歳以降も勤務を続ける場合の給与補填)、求職者給付(失業手当、65歳以前に退職した場合)、高年齢求職者給付(65歳後も勤務した場合の退職後の給付金)等々です。
人生に手品はありませんが、年金制度の説明には手品があります。古代西洋では、手品や奇術は呪術の類であり、支配者の権力の源泉のひとつ。不思議な能力を持つこと、民衆とは異なる存在であることを誇示する手段でした。
とは言え、度の過ぎた呪術を喧伝すると、魔女狩りに遭った史実もあるようです。
(了)