米国大統領選挙でトランプが勝利。トランプは大統領就任と同時にTPPから離脱すると公言。かたや日本は10日に衆議院本会議で意味不明の強硬採決。米国が参加しなければ発効しないTPP。トランプ(T)でピンチ(P)、国会もパニック(P)のTPPです。
米国大統領選挙でトランプが勝利。大方の予想を覆したこの結果についての分析、論評ラッシュが続いています。
大統領選挙では、伝統的に民主党の強い州(ブルー・ステート<民主党のイメージカラーが青に因む名称>)、伝統的に共和党の強い州(レッド・ステート<同、共和党は赤>)以外の「スゥイング・ステート(結果が振れる<Swing>州)」の帰趨が勝敗を決します。
このため、「スゥイング・ステート」は日本語では「注目州」「揺れ動く州」「激戦州」などと訳されています。
中でも注目を集めたのは北東部のオハイオ州(州都コロンバス)。五大湖のひとつ、エリー湖に面します。
独立宣言に加わった13州に含まれていなかったものの、13州のひとつであるコネチカット州の西部保留地という位置づけからスタート。1803年に17番目の州に昇格しました。
過去の大統領選挙ではオハイオ州で勝った候補者は全員大統領になっているそうです。そこで今回も注目されていたオハイオ州。
開票終盤、オハイオ州でのトランプ勝利が確定。その直後、大票田(州に割り振られている選挙人の数が多い)フロリダ州でもトランプが勝利し、米国メディアは一斉にトランプ当確を流しました。
そこで、改めてオハイオ州の住民構成を調べてみました。州政府に申告されている祖先による構成比(%)は以下のとおりです(2010年データ)。
ドイツ系26.5、アイルランド系14.1、イングランド系9.0、アメリカ系(特定民族を祖先と考えない人々)7.9、イタリア系6.4、スラブ系5.7、フランス系2.5、その他27.9。
人種別の構成比(同上)は、白人82.7(非ヒスパニック白人 81.1)、黒人12.2、ヒスパニック3.1、アジア1.7、その他0.3。
宗教的には、キリスト教76.1(プロテスタント53.9、カトリック21.2、その他1.0)、ユダヤ教1.3、イスラム教1.0、仏教0.5、その他4.1、無宗教17.0。
全米平均よりも欧州系比率、白人比率、キリスト教比率が高いと言えます。今回の選挙、トランプは白人の中間層及び低所得層の不満を煽り、当該層の支持を吸収する戦略が奏功したと言われていますが、なるほどという構成比です。
さらに、この地域が「ラストベルト」であることも重要なポイント。ラスト(Rust)とは金属の錆(さび)。つまり「ラストベルト」は「錆びついた地域」という意味です。
オハイオ州を含む米国中西部から北東部。鉄鋼、石炭、自動車等、かつての主要産業が衰退した工業地帯の俗称です。使われなくなった工場や機械のことを象徴して「ラスト」と表現しています。
オハイオ州のほか、ミシガン州、ウィスコンシン州、ペンシルベニア州等が含まれ、20世紀後半は製造業の拠点でした。
しかし、他の先進国(ドイツ、日本等)や新興国(韓国、中国等)の攻勢に押され、この地域の製造業は衰退。同時に、他地域の黒人やヒスパニック系、不法移民に職が奪われ、白人層の不満が鬱積していると言われていました。
この地域では、燃料電池、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、IT等の新しい産業も勃興していますが、主役はエンジニアリング職。
比較的単純な職務分野で職を奪われた白人労働者を吸収できていません。この傾向は「ラストベルト」のみならず、米国全土に共通しています。
米国の白人比率は漸減しており、最新データ(2015年)では61.6%。過去5年で2.1%ポイント下がっており、今世紀半ばには50%を切ると予測されています。
こうした状況が、「ラストベルト」や白人比率の高い「スゥイング・ステート」での白人中間層、低所得層のトランプ支持につながった背景と言えるようです。
そもそも「ラストベルト」が発展した理由は、この地域が石炭・鉄鉱等の資源に恵まれ、東海岸経由で入国した欧州系(白人系)移民を中心に人口が急増したため。
五大湖に隣接しているため、水運も良く、19世紀後半以降は東海岸と鉄道でつながり、物流・流通網も整備されました。
「ラストベルト」から東海岸は米国で最初に鉄道が敷設された地域。鉄道は東海岸を南下して延伸。今日では「北東回廊」と呼ばれる米国を代表する幹線鉄道になっています。
具体的には、ボストン(マサチューセッツ州)からワシントンを結び、その間には、ニューヨーク(ニューヨーク州)、フィラデルフィア(ペンシルベニア州)、ボルティモア(メリーランド州)等、多くの大都市圏を含みます。
「北東回廊」周辺・沿線域は別名「ボスウォッシュ」。つまり、ボストン(Boston)とワシントン(Washington)の語頭を合わせて「ボスウォッシュ(BosWash)」。域内人口は約4,400万人。全米の約16%、世界の約0.7%に相当します。
「ボスウォッシュ」域内にはアイビー・リーグ大学が6つ(ブラウン、コロンビア、コーネル、ダートマス、ハーバード、ペンシルベニア、プリンストン、イェール)存在。
アイビー・リーグは米国北東部にある名門私立大学8校のネットワーク。アイビー・リーグの卒業生はアイビー・リーガーと呼ばれ、米国エスタブリッシュメントを構成。政界・財界・官界・学界・法曹界等に広範な人脈を形成しています。
アイビー・リーグの語源は諸説ありますが、一番有力なのはアイビーは植物の蔦(ツタ、英語でivy)を表すという説。校庭に蔦が植栽され、校舎がその蔦で覆われていたため、伝統的名門校の愛称が「ツタの大学(ivy colleges)」になったという説です。
域内には、アイビー・リーグ卒業生たちの就職先である金融機関、大企業、マスコミ、政府機関、シンクタンク等が集積。域内GDP(国内総生産)は米国全体の5分の1を占め、フォーチューン「世界500社」のうち58社が存在します。
つまり「ボスウォッシュ」は米国エスタブリッシュメント(権威層、エリート層、支配層)の象徴的地域。この地域でのトランプ勝利は「ワシントン政治」「エスタブリッシュメント」の中心地「ボスウォッシュ」に住む白人の中間層、低所得層の反乱と言えます。
アイビー・リーグと並び、かつてはエスタブリッシュメントの代名詞とされたのが「WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント、White・Anglo-Saxon・Protestant)」。
しかし、もはやWAPSは一枚岩ではなく、高所得層・エリート層と、彼らの政策や経営に不満を抱く中間層・低所得層に分断。
元々WASPは、北西ヨーロッパをルーツとする米国建国の担い手を祖先とする人々の総称。しかし、その後意味が拡大し、WASP は大半の白人を指すようになりました。そのWAPSが二分されているということです。
その不満を吸収したのがトランプ。「イスラム教徒入国禁止」や「メキシコ国境に壁を建設」といった極論が、治安悪化や雇用不安に直面しているWAPSを魅了。
米国史上最大の番狂わせと言われる今回の大統領選挙。トランプに具体的な政策論はあまりなく、「米国を再び偉大に」というスローガンだけでした。
民主党でヒラリーと激戦を演じたサンダースは自ら「社会主義者」を名乗り、「政治革命」を訴えました。これも中間層・低所得層、そして若年層のWAPSに受け入れられました。
格差是正を掲げ、公立大学授業料無料化の公約は教育ローン負担に怒る学生の心を捉えました。サンダースの集会は若者で溢れ、本命ヒラリーはよもやの苦戦に政策のサンダース化を強いられました。
こうした社会的風潮は、米国だけでなく、欧州を含む世界的な傾向と言えます。急進的な右派・左派双方のデマゴーグ(扇動政治家)が存在感を増しています。
デマゴーグの語源は古代ギリシャ語の「大衆(デマ)」を「導く(ゴゴス)」。本来は大衆指導者を指し、必ずしも否定的な意味ではありません。
その後、ギリシャ、ローマ等で煽動的大衆指導者が跋扈(ばっこ)し、デマゴーグは煽動政治という悪い意味で定着。煽動はデマゴギーと呼ばれ、煽動的な嘘や噂のことを指す「デマ」の語源となりました。
デマゴーグと密接な関係にあるのがポピュリズム。大衆の気持ちを代弁するという意味では、ポピュリズムも本来は必ずしも悪い意味ではありません。権威層、エリート層、支配層に対抗する概念であり、むしろ民主主義の原点とも言えます。
古代ローマではポピュリズムは「市民主義」「大衆主義」を意味し、元老院への対抗的概念。近世欧州では、知識人中心の合理主義、知性主義、ロマン主義に対立する運動としてポピュリズムが語られました。
やがて、大衆の欲望に迎合して政治を扇動する手法が大衆迎合主義と定義され、扇動政治家はポピュリストと呼ばれるようになりました。
米国では、19世紀末の人民党(通称ポピュリズム党)、戦後のマッカーシズム(赤狩り)、2000年代のティーパーティー運動などがポピュリズムに分類されることがあります。
欧州では、1930年代のイタリアのファシズム、ドイツのナチズムが大衆の鬱積を代弁し、体制側を激しく非難。デマゴーグとポピュリズムによって政権を奪取。
民主主義の権力の源泉は大衆。間接代表である政治家や議会が、主権者である大衆の気持ちを十分に政治に反映できないことが、デマゴーグやポピュリズムが登場する一因です。
デマゴーグやポピュリズムは全体の利益の名の下に少数者を抑圧する危険性があります。それはある意味で民主主義の本質。間接代表である政治家や議会が、民主主義をどのように運営するかの問題です。
今や、デマゴーグやポピュリズムが世界中で台頭。極端な民族主義・反体制を訴える急進的な右派・左派が勢力を拡大しています。
右派では、フランスのルペン(女性、国民戦線)、オランダのウィルダース(自由党)、ドイツのペトリ(女性、選択肢)、ポーランドのカチンスキ(法と正義)、オーストリアのホーファー(自由党)、ハンガリーのビクトル(市民連盟)。左派ではイタリアのラッジ(女性、五つ星運動)、スペインのイグレシアス(ポデモス)等、枚挙に暇がありません。
右派は「主権を取り戻す」として民族主義を扇動し、「移民は仕事を奪う」という主張を擦り込み、反グローバリズムと移民排斥を主張。
左派は格差拡大を批判。財政出動による対策を訴え、ベーシックインカム等を主張。結果的に、反グローバリズムと移民排斥では右派とシンクロしています。
デマゴーグやポピュリズムに共通しているのは、現実の問題が抱える複雑性を無視して単純化し、極端な側面を切り取って大衆を扇動する点です。
その手法として駆使され、破壊力を発揮しているのが国民投票。典型は英国のEU(欧州連合)離脱問題。米国大統領選挙も選挙人制度はあるものの、言わば国民投票です。
歴史上、最も有名なデマゴーグはヒトラー。国民投票を駆使して権力掌握に成功しました。対照的に、キャメロンは情勢を読み違え、国民投票によって退陣を余儀なくされました。国民投票は両刃の剣です。
その英国のEU離脱問題ですが、さらに混迷してきました。高裁がEU離脱通告には議会承認が必要との判決を示したからです。英国政府は上訴する方針ですが、12月上旬には最高裁も同様の判決を出すと予想されています。
最高裁で同様の判決となっても、メイ首相は来年3月末までの離脱通告、交渉入りを目指し、上下両院一括の単発採決で対応すると報道されています。
しかし、今月4日、与党保守党のフィリップス下院議員が「政府は議会軽視。妥協できない」として議員辞職。デービスEU離脱担当相も上下両院での採決と関連法案の可決が必要と発言。野党労働党コービン党首も、離脱条件の議会への説明を要求しています。
メイ首相はEU単一市場への残留よりも移民制限を優先する「強硬離脱」を模索していますが、残留派のみならず、離脱賛成派の中にも、単一市場や関税同盟への残留を主張する動きが強まっています。
今後議会が離脱問題への関与を強めることは必定。メイ首相が議会との調整に失敗し、議会承認の見通しが立たなければ、解散総選挙に追い込まれる可能性が高いでしょう。
トランプ大統領就任後の米国でも、大統領の公約具体化に対して議会との対立が先鋭化する可能性があります。
メイ首相やトランプ大統領をデマゴーグ、ポピュリズムとは言わないまでも、今後は世界各国で議会の役割に注目が集まることが予想されます。
間接代表である政治家や議会が民意を受け止め、デマゴーグやポピュリズムの歯止め役を果たせるのか。議会の責任は重いと言えます。
(了)