政治経済レポート:OKマガジン(Vol.358)2016.4.19

熊本・大分地震の犠牲者に哀悼の意を表しますとともに、被害に遭われた皆様、避難中の皆様にお見舞いを申し上げます。国会も政府も災害対応に全力を尽くすべく、職務に精励します。さきほど、千葉で地震が発生しました。九州地方以外の皆様もご留意ください。


1.前例のない展開

4月14日、熊本県でマグニチュード(M)6.5、最大震度7の地震が発生。余震が続く中、16日未明にはM7.3、最大深度6強の地震が発生。

気象庁は前者を「本震」から「前震」に訂正し、後者を「本震」と発表。気象庁や専門家も戸惑う、前例のない展開です。

19日午後7時現在、最大震度5以上の地震は16回、震度4以上は約90回、震度1以上は630回以上。震度4はかなりの揺れですから、それが約90回というのは驚きです。

震源の深さは総じて浅く、10キロ程度。マグニチュードも九州の内陸地震では過去100年で最大規模だったことも、被害拡大の一因です。

震源地は当初の「日奈久(ひなぐ)断層帯」から隣接する「布田川(ふたがわ)断層帯」へ波及。さらに、北東の阿蘇地方から大分の「別府万年山(はねやま)断層帯」に拡大。

震源域は北東方向に一直線上に並んでいます。この線は本州を横切るように走る「中央構造線(後述)」の一部であり、四国・中国地方での地震誘発が懸念されます。

さらに、16日本震から約7時間後、阿蘇山が小規模噴火。地震との関連は不明ですが、昨年まで噴火していた中岳火口の活動を刺激する懸念があります。2年前に発見されたマグマ溜まりにはマグマが残っており、油断禁物。

別府湾から阿蘇山を経由し、雲仙普賢岳に至る別府島原地溝帯も存在。東への震源域拡大だけでなく、西への震源域拡大や普賢岳の火山活動にも留意が必要です。

阿蘇山は30万年前以降、4回のカルデラ破局噴火を起こしています。地質学者によれば、直近の噴火(9万年前)では、膨大なマグマと火砕流が九州の半分を覆い、瀬戸内海を越えて四国・中国地方にまで達したそうです。

日本列島全体では、破局的噴火は約6000年周期で発生。最後の発生は約7300年前。起きてほしくはないですが、いつかは発生するのでしょう。

今回の地震では長周期地震動も観測されました。長周期地震動は揺れの周期が2秒から20秒程度と長いのが特徴。継続時間も長く、堆積層の厚い平野部で増幅する傾向があります。気象庁は2013年3月から観測情報の提供を始めています。

長周期振動はあまり弱まらず、遠い地域に伝わり、遠隔地の高層ビルも揺らします。東日本大震災では、約770キロ離れた大阪府庁舎が長周期地震動の被害を受けました。

建物は高さや形状によって固有周期があります。長周期震動のエネルギー自体は小さいものの、「地震の揺れ」と「建物の揺れ」が共振する場合、建物に大きな損傷や倒壊被害をもたらします。

今回の地震で、佐賀県で初めて長周期震動を観測(階級2)。体感として「物につかまらないと歩くことが難しく、行動に支障を感じる」レベルです。

一方、熊本県では国内で初めて最悪レベルの階級4を観測。揺れの最大速度が毎秒100センチ以上で、揺れの周期が一致する高層ビルでは「人が立っていられず、固定していない家具の大半が移動し、倒れる」レベルです。

2.ナウマン博士

日本には、判明しているだけでも2000以上の断層が存在しますが、そもそも3つの構造的大断層系または地質構造が地震の原因となっています。

第1は「フォッサマグナ(ドイツ語で「大きな溝」)」。日本語では「中央地溝帯」または「大地溝帯」と呼ばれます。東北日本と西南日本の境界を南北に走る大規模な地溝であり、西端が「糸魚川静岡構造線」、東端が「新発田小出構造線及び柏崎千葉構造線」です。

第2は「中央構造線」。関東から西南日本を縦断する大断層系。この「中央構造線」の西の端に、今回の熊本・大分地震の震源域である「日奈久断層帯」「布田川断層帯」「別府万年山断層帯」が存在します。

「フォッサマグナ」「中央構造線」とも明治政府の「お雇い外国人」であったドイツ人地質学者、ナウマン博士が発見・命名。余談ですが、化石の発見から「ナウマン像」の命名者にもなっています。

ナウマン博士は南アルプス山系に登山し、そこから見た眺望から「フォッサマグナ」の存在を確信。また、西日本の地層調査の結果、「中央構造線」を発見したそうです。

「フォッサマグナ」中央部には、北から焼岳、妙高山、白根山、浅間山、八ヶ岳、富士山、箱根山、天城山等の火山が縦列。また、「糸魚川静岡構造線」の東端に位置する群馬県太田断層では、M7級の地震が繰り返し発生しています。

「中央構造線」は長野県伊那地方から鹿児島県薩摩半島までの全長1000キロ以上の断層。愛知県をかすめ、紀伊半島から淡路島、四国を横断し、愛媛県沖の豊後水道を通り、大分県、熊本県へと延びています。

「中央構造線」上では地震が頻発。中でも1596年9月1日の伊予地震(M7.0)、その3日後9月4日の別府湾地震(M7.0からM7.8)、その翌日9月5日の伏見地震(M7.1)は、「中央構造線」と接する断層帯を震源域とする地震が連動した例です。

別府湾地震、伊与地震は今回の震源域に近く、過去にそうした連動地震があったことは軽視できません。

構造的地質構造の第3は「南海トラフ(溝)」。太平洋海底を北西に進むフィリピン海プレートがユーラシアプレート上の日本列島西南部に潜り込む境界域が「南海トラフ」です。

大陸移動説やプレート・テクニクス理論によれば、大陸は地球表面上を移動して位置や形を変えています。ドイツの気象学者、ヴェーゲナー博士が1912年に提唱した学説です。

昭和中期に南海地震を研究した沢村武雄教授(高知大学)が「南海スラスト(衝上断層)」と命名。後に、衝上断層ではなくプレートの沈み込み帯であるとの認識が広がり、「南海トラフ」と呼ばれるようになりました。

「南海トラフ」で発生する地震については、メルマガ287号(2013年5月20日)、303号(2014年1月6日)でも取り上げましたが、再述しておきます。

南海トラフ巨大地震はいつ発生しても不思議ではない切迫した状況。南海トラフ北端部の駿河湾内に位置する部分は、駿河トラフと呼ばれる「東海地震」の想定震源域です。

駿河湾の富士川河口付近から御前崎沖まで南下。そこから南西に向きを変えて和歌山県潮岬沖へ。その辺りは「東南海地震」の想定震源域。

さらに高知県室戸岬沖へ伸び、そこが「南海地震」の想定震源域。南海トラフは九州沖を経て、琉球海溝(南西諸島・沖縄の東側を南北に走る海溝)につながります。

南海トラフ巨大地震は、上述の東海地震(駿河湾)、東南海地震(潮岬沖)、南海地震(室戸岬沖)が連動して発生する「南海トラフ3連動地震」のことを意味します。

M8クラスの東海地震、東南海地震、南海地震は、約100年から200年周期で発生。しかも、過去の傾向から、非常に高い確率で連動する可能性が指摘されています。

直近の大きな地震は、東南海域では1944年(M7.9)、南海域では1946年(M8.0)に発生。しかし、東海域では1854年の安政地震が最後。既に160年以上経過。東海地震が最も逼迫度が高く、東海地震に連動して東南海、南海地震が起きることが懸念されています。

3.11後、従来の甘い被害予想が改定されました。M9級の南海トラフ巨大地震が在宅者の多い冬の深夜に発生する最悪ケースでは、死者32.5万人(2003年想定では2.5万人)、全壊239万棟(同94万戸)、経済的損失は最大220兆円(同81兆円)。

さらに、プレートが複雑に重なる首都直下地震も懸念されています。30年以内に70%の確率で起きるとされるM7級地震では、死者2.3万人、経済被害約95兆円。

200年から400年間隔で発生しているM8級の関東大震災型地震が起きると、震度7の地域は神奈川県内34市区町村、東京湾岸埋立地や相模川、酒匂川沿いなどに広がります。

津波の高さは、三浦市10m、藤沢市・大磯町8m、鎌倉市・平塚市6m、東京湾内は2mから6m。海岸から内陸600mまで到達し、揺れや火災も含めた全壊・焼失建物は最大133万棟、死者は最大7万人。ライフラインは断絶。鉄道や道路の運行再開・復旧には数か月を要し、経済被害は160兆円と推計。

なお、日本海溝から相模湾付近に延びる相模トラフで発生する「最大級」地震(M9級)の被害については、発生頻度が2000年から3000年間隔で「確率が低い」として推計せず。

被害想定を検討した政府委員が「発生確率が低い地震を想定しても現実的対策につながらない」とコメントしたことを記憶していますが、本当にそうでしょうか。現にM9級の3.11東日本大震災が発生したことを忘れてはなりません。

3.天災と国防

「天災は忘れた頃にやってくる」という名言を生み出したのは物理学者、寺田寅彦博士(1878年生、1935年没)。

寺田博士は「自然は過去の習慣に忠実である」と述べています。「過去に起きたことはまた起きる」という含意です。

1938年出版「天災と国防」は、随筆家、俳人でもあった寺田博士の「全集」「随筆集」等の中から災害に関連するものを集め、再構成した書籍です。

本書の「国防」は安全保障的な意味ではなく、天災から国民を護るという意味で使用されています。以下、現代にも通用する本文抜粋です。

「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す」。

「現代では日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運ぶ電線やパイプが縦横に交差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されているありさまは高等動物の神経や血管と同様である。その神経や血管の一か所に故障が起こればその影響はたちまち全体に波及するであろう」。

「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」。

災害大国である日本は、救助・救援・復興のための専門組織を常設化することも一考に値します。米国の「緊急事態管理庁(FEMA<Federal Emergency Management Agency>、フィーマ)」のような組織です。

FEMAは、地震、ハリケーン、洪水、原子力事故等の災害に際し、政府組織、地方組織等の業務を調整するとともに、家屋・工場等の再建、行政活動復旧等の支援を行います。

1960年代、70年代に災害が相次ぎ、1979年、カーター大統領がFEMAを創設。消防庁、災害援助庁等が統合され、政府組織や軍に対する予算執行権、指揮命令権を有する強力なFEMAが誕生しました。

2001年9月11日、同時多発テロが発生。多くの事前情報があったにもかかわらず、関係組織が分立していたことから、テロを防げませんでした。

その反省から、議会が危機管理組織再編を提案。それを受け、2002年、ブッシュ大統領が22組織を統合し、20万人以上の職員を擁する巨大組織、国土安全保障省(DHS< Department of Homeland Security>)を設立。

国防総省、退役軍人省に次ぐ巨大組織であり、テロや天災等、あらゆる脅威から国民と国土の安全を守る「オール・ハザード・アプローチ」が任務。平時・戦時を問わず、24時間体制で活動しているそうです。

翌2003年、組織改編でFEMAはDHSに編入され、危機管理能力向上が期待されました。しかし、またしても、2005年に相次いだハリケーン災害への対応が遅れ、その原因はFEMAのDHS編入による指揮系統の混乱と指摘されました。

実際、DHS創設以降も、FEMAを含む22機関はそれぞれ実質的に分立したまま。人事も統合されておらず、職員相互の意思疎通や連携が不十分だったようです。日本の行政組織も縦割りの弊害が懸念されます。

米国では引き続き危機管理組織の改善が検討されていますが、日本も参考にしなければなりません。

危機管理という概念の始まりは第1次世界大戦当時。第2次世界大戦後の冷戦時代には、核戦争への対応から危機管理論が隆盛しました。

現在では、防災や防犯、テロ対策、企業経営等、様々な分野の危機(マルチハザード)を対象とするスキル、ノウハウが蓄積されています。

通常、危機管理対応は「予防」「把握」「評価」「検討」「発動」「再評価」の6段階によって構成されます。

日本では危機管理を「リスク・マネジメント(Risk management)」と同一視する傾向がありますが、正確には「クライシス・マネジメント(Crisis management)」と「リスク・マネジメント」の両者を合わせて「危機管理」。

「リスク・マネジメント」は事前対応(予防・準備)、「クライシス・マネジメント」は事後対応(発動・再評価)。

災害大国の日本としては、両者を峻別しつつ、合理的、現実的な対応準備と実施を図るべく、不断の見直しとレベルアップが肝要です。

重ねて被災地の皆様にお見舞い申し上げつつ、国会をあげて対応に腐心します。国会も不要不急の課題への対応は休止し、災害対応に専心すべきでしょう。的確な優先順位付けが必要です。

(了)


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