政治経済レポート:OKマガジン(Vol.331)2015.3.12

予算委員会もまもなく折り返し点。来週から参議院に舞台を移します。今年の通常国会は格差と安全保障が二大論点。今回は格差について考えてみます。


1.保守とリベラル

「格差が出るのは悪いこととは思わない」。小泉元首相が2006年の国会で行った発言です。「人生いろいろ」「株価に一喜一憂しない」などと並んで、小泉元首相の記憶に残る発言のひとつです。

格差を全く発生させないことは不可能でしょう。では、格差を完全に放置し、どこまででも拡大するのを成り行きに任せてよいのでしょうか。なかなか難しい問題です。

格差の発生は不可避であるという前提の下、格差への対応を検討するうえで、格差をどのように捉えるかということが重要な点です。

捉え方の違いは、立場や考え方や感性の違いによります。当然のことです。自己努力を重んじる人は格差を容認し、平等を重んじる人は格差是正を求める。「そうだよな」とつい思いがちですが、ことはそんなに簡単ではありません。

自己努力を重んじる人は保守的で、平等を重んじる人はリベラル的だ。そう言われると何となくスッと呑み込んでしまいそうですが、これもそんなに単純な話ではありません。

保守のルーツ(源流)は英国コモン・ロー。中世英国で積み上げられた法体系全般のことを指し、要するに先例や伝統によって形成された制度や価値を尊重し、現状維持、反改革的な傾向が保守のイメージです。

しかし、保守も改革自体を否定しません。「保守思想の祖」と言われるバーグ(1729年生、1797年没)は「保守するための改革」を肯定。19世紀の保守党政治家ディズレーリ(1804年生、1881年没)も「維持せんがために改革する」と述べています。

格差の現実に直面し、対応が必要と思うか否か。そのための改革が必要と思うか否か。

一定の範囲内の格差を容認しつつも、限度を超える格差是正を「守るべき価値」と考えるか否か。格差問題における保守の立場の鍵となります。

一方、ロック(1632年生、1704年没)に端を発するリベラルも英国が源流。本来の意味は権力からの自由、自己決定権重視の思想です。

やがて、ホッブス(1588年生、1679年没)の社会契約論と融合し、政府の役割は個人の財産や生命を守る「夜警国家」機能に限定されます。

さらには経済的にも自由を追求し、私的所有権や市場原理を重んじるスミス(1723年、1790年没)の古典的自由主義につながり、資本主義の基礎を形成します。

ここまで読んでお気づきの読者もいると思います。リベラルの本質は自由主義。個人の自己責任が前提であり、格差是正とは相反します。

限度を超える格差を是正すべきものと考えるか否かが、格差問題におけるリベラルの立場の鍵となります。何だか保守もリベラルも変わりないような印象です。

それはある意味で正解。本来、保守とリベラルは対立概念ではありません。

2.格差と成長

しかし、自由主義がルーツの古典的リベラルは進化します。個人の自由や生存権を重視することから、翻って、時には政府が個人の自由や生存権を守ることを肯定するソーシャルリベラリズムが誕生。ニュー・リベラルです。

ニュー・リベラルは、社会的公正を守るために、時に政府の介入を必要と考えます。ちなみに、ニュー・リベラルと区別するため、古典的リベラルをリバタリアニズムと呼ぶこともあります。

では、社会的公正とは何か。これが大問題なのです。多くの学者が頭を悩ます中、ヒーローが登場します。ロールズ(1921年生、2002年没)です。

経済学、政治学、社会学、哲学等の研究者にとって、ロールズはまさしくヒーロー。オタクで恐縮ですが、僕もロールズのことを書いているだけでゾクゾクします。

ロールズは、誰もがどのような立場で生まれても自己実現を追求できることを重視し、格差や不平等が固定化されないことを重要と考えました。

機会平等や最小不幸を目指し、自由と自己決定権を担保するために政府による再分配や共助を肯定したのです。

保守にとって限度を超える格差は問題なのか、リベラルにとって何が是正されるべき格差なのか。こうした格差問題へのアプローチには2つの切り口があります。

ひとつは、限度を超えた格差が社会、とりわけ成長に与える影響についてです。格差放置が成長を促進すると考えるプラス論と、格差放置は成長を阻害する(格差是正が成長を促進する)と考えるマイナス論。両論あるのが現実です。

前者はいわゆるトリクルダウン論と共鳴。成長によって大企業や富裕層が潤えば、やがてその恩恵は滴り落ち、中小零細企業や中間層、貧困層にも恩恵が及ぶという主張です。

トリクルダウンという言葉を最初に使ったのは、米国レーガン政権で行政管理予算局長官を務めたストックマン。株価男(ストックマン)がトリクルダウンの生みの親とは、でき過ぎです(笑)。

成長すれば格差は是正されるのか。格差は成長の弊害となるのか。この問題は理論的には決着がついていません。

しかし、昨年、IMF(国際通貨基金)、OECD(経済協力開発機構)から相次いで後者の立場に立つ論文が発表されるとともに、ピケティの著作「21世紀の資本」によって実証的にも後者の立場が強化されました。

そこで、限度を超えた格差は是正すべきという方に軍配をあげたとしても、なお、格差の限度についての判断基準は明確ではありません。

とは言え、少なくとも国際比較において、相対的に劣位な指標については改善を要するという程度の共通認識は得られるでしょう。

日本の相対的貧困率が、OECD34か国中、全体では29位。子どもは25位。ひとり親世帯の最下位という現実は改善を要するという結論に反対の人はいないことを期待します。

3.格差と公正

保守にとって限度を超える格差は問題なのか。リベラルにとって何が是正されるべき格差なのか。格差問題へのもうひとつのアプローチは社会的に公正か否かの判断です。

ロールズは、機会平等の障害となる生来の格差や就労前の格差は社会的公正に反し、是正が必要であると主張しました。

こうしたロールズの主張は、セン(1933年生)の潜在能力仮説に共鳴します。ロールズがヒーローなら、センはスター。この分野のオタクには神々しい存在です。

昨年のメルマガ321号(10月13日号)をご記憶の読者は、センといえばアマルティア・セン。アジア人で唯一のノーベル経済学賞受賞者と閃いたことでしょう。

ところで、僕の認識では、ロールズやセンの思想を実践しようとしたのが英国ブレア政権の「第3の道」です。

福祉国家思想に基づく手厚い社会保障という「第1 の道」、サッチャー政権型の新保守主義・新自由主義に基づく「第2 の道」。いずれとも異なる選択肢が「第3の道」。ブレア政権の政策の特徴は以下の3点に要約できます。

第1に、モラルハザードの観点から無就労者への所得補助を削減する一方、就労を促進する税制・医療制度上の低所得者優遇策や最低賃金制度導入等を行いました。

第2に、雇用創出を企図して、非正規雇用を奨励する施策を講じました。非正規雇用を促進していたことは意外に知られていません。但し、目的は雇用促進です。

第3に、抑制的な財政・金融政策を採用。マクロ政策による完全雇用追求よりも、ミクロ政策としての求職活動支援、雇用補助金支給、職業訓練等の労働政策を重視しました。

「第3 の道」の背景には、伝統産業の衰退、新しい職業への不適応等に伴う非就労者増加という事情がありました。同政権は非就労者を社会的排除による被害者と捉え、その原因を除去することに注力。保守・リベラル思想が混在する諸施策を実施したと言えます。

労働者には機会平等を保障し、生来格差を縮小して潜在能力を発揮できるようにするのが同政権の政策的指向性であり、ロールズやセンの思想と接点が多い政策提携でした。

翻って日本。現在の格差拡大傾向の是正を目指すのか否かが問われます。民主党政権はブレア政権的な施策の一部を共有していましたが、現政権のスタンスは明確ではありません。

非正規雇用の促進法制を指向している点ではブレア政権の特徴の第2点と共通しています。但し、目的が同じか否かはよくわかりません。たぶん、違うでしょう。

いずれにしても、社会構造・人口構造・経済情勢の変化に起因する税制・社会保障制度の歪み、それに伴う貧困等の社会問題に直面し、新たな取り組みが始まっています。

「社会保障と税の一体改革」の議論を受け、「子どもの貧困対策の推進に関する法律」や「生活困窮者自立支援法」などが成立。

セーフティネットを社会保障と生活保護の2層構造から、その間に社会的公正追求策を挟む3層構造へ転換する取り組みが始まりましたが、成否は今後に委ねられます。

ところで、ブレア政権がマクロ政策に依存しなかったのとは対照的に、現在の日本では超拡張的マクロ政策(とくに金融政策における異次元緩和)が行われています。

メルマガ前号でお伝えしたように、実質金利マイナスも容認する現在の政府・日銀の政策体系は、金融抑圧等を通して格差拡大のバイアスを有している点は留意を要します。

冒頭で述べたように保守とリベラルは対立概念ではありません。一方、新保守主義・新自由主義が同列に扱われるのも実に奇妙。保守と自由こそ、本来は対立概念です。

(了)


戻る