前号に続き、今回もテーマは集団的自衛権。閣議決定が間近。喫緊の課題ですのでお付き合いください。295号(2013.9.15)、298号(2013.10.30)も合わせて参考にしてください。バックナンバーはホームページからご覧になれます。
集団的自衛権行使に関する検討材料として政府が提示した15事例。その中に、現行法(自衛隊法等)を根拠に個別的自衛権等で対応可能な事例も含まれていることが明らかになったことはメルマガ前号でお伝えしました。
そこで、現在具体的な検討対象になっているのは8事例。また、政府が現実的な検討課題と考えているのは日本周辺有事とホルムズ海峡での機雷除去の2つ。
巷では自衛権に関する居酒屋談義が盛んに行われていることと思います。情緒的な感情論に陥ることなく、論理的・合理的な事実を積み重ねて議論することが大切。そのために必要な情報と思考プロセスを以下に整理します。ご活用ください。
第1に、個別的自衛権は国家が元来有する権利(自然権)。個人の正当防衛権に準(なぞら)えられます。一方、集団的自衛権は国連憲章(1945年)第51条で創設された人為的権利。
第2に、個別的自衛権の行使要件は国際的に確立。急迫不正の侵害があること(急迫性・違法性)、他に対抗手段がないこと(必要性)、攻撃に対抗する限度にとどめること(相当性)の3点。個別的自衛権行使の3要件と呼ばれています。
第3に、集団的自衛権の行使要件は、1986年の国際司法裁判所(ICJ)「ニカラグア事件」判決において、上記の個別的自衛権行使要件に加えて以下の2点を明示。第1に、武力攻撃を受けた国がその旨を表明すること(事実表明)。第2に、攻撃を受けた国が第三国に対して支援を要請すること(支援要請)。
一方、集団的自衛権を行使しようとする国の実体的利益侵害を要件とするか否かについてICJは判断を示さず、今日でもこの点に関する学説や見解は未確定。
第4に、日本には憲法第9条による制約があり、政府は従来から2つの方針を堅守。ひとつは、個別的自衛権の解釈を変更することで安全保障上の環境変化に対処すること。もうひとつは、集団的自衛権は「保有すれども、行使できず」という立場であること。
以上の4点が議論の大前提です。そのうえで、論点は集団的自衛権の内容に関わるものと、手続きに関わるものに分けられます。
内容に関わる部分は少々複雑なので事項以下で整理しますが、手続きに関わる部分の論点は明確。次のとおりです。
すなわち、憲法の解釈について従来の政府方針を根本的に変えることの是非(解釈改憲の是非)。及び、閣議決定のよる解釈改憲の是非(閣議決定の是非)。
この両点は、論理的に考えると明らかに「非」。明確に憲法改正に取り組むか、少なくとも閣議決定前に総選挙によって国民の審判を仰ぐことが不可欠。憲法改正も総選挙も避け、閣議決定によって解釈改憲するプロセスは蛮行と言わざるを得ないでしょう。
さらにもうひとつ認識しておきたい重要事項は、安全保障や防衛に関する政策論争を個別事例で検討することの是非。
様々な事例を検討しても、現実に起こり得る全ての事態を網羅できるわけではありません。実際に危険に直面する自衛隊員からすれば、困惑するばかりです。
可能であれば、あらゆる事態に対応するための原理原則を定めておくこと、究極的事態(想定できない事態)へも対応可能な論理を準備しておくことこそが、国家として、そして現実の危険に直面する自衛隊員にとっても重要なことです。
以上で、集団的自衛権論争の大前提を共有していただけたものと思います。それでは次に、内容に関わる部分の論点に進みます。
検討対象として残っている8事例のうち、6事例は自衛隊法第76条(防衛出動)が関係条文。同条は「我が国を防衛するために必要があると認める場合」に防衛出動が可能であることを定めています。
解釈改憲という蛮行を回避し、あらゆる事態に対応可能な論理を考えるうえで重要なのは、「我が国」の定義です。
安倍首相は海外在留邦人等の輸送護衛に自衛隊が対応できないという印象を煽るために、子どもを抱いた母親のイラスト入りパネルなどを駆使しています。そんな「情」に訴えた扇動よりも、条文に沿った論理的思考に努めてもらいたいものです。
そもそも国民の安全を守るのは国の当然の責務。国民が他国の武力攻撃の影響で危険に晒されている時に、現行法では対応できないと考える道理はありません。
国家の3要素は「国民、領土、主権」。万国共通の理解です。したがって、同条の「我が国」を「国民、領土、主権」と解すれば、邦人が乗船している輸送船が武力攻撃に晒された場合、防衛出動は可能と考える原理原則を定めておくことが論理的に可能です。
また、日本の安全保障は日米安全保障条約によって担保されています。賛否はあるにせよ、それが現実であり、事実です。
安全保障は主権を守る手段。日本の領域内または日本周辺の米軍が危機に晒されることは、ひいては日本の安全保障、つまり主権が危機に晒されることにつながる危険性を内包しています。
同条の定める「我が国」を「国民、領土、主権」と解することによって、かなり普遍的に様々な事態に対応できます。検討対象の8事例のうちの6事例は同条に関連すると政府も認めていることから、それらは同条に基づく防衛出動によって対応可能となります。
原理原則を定めるうえで、もうひとつ重要なのが自衛隊法第78条。同条は「間接侵略その他の緊急事態」に対する治安出動に関する規定です。
ここで重要なのが「間接侵略その他の緊急事態」の定義。メルマガ前号でお示ししたとおり、「間接侵略」の定義が陳腐化(時代錯誤)しているうえ、「その他の緊急事態」に至っては定義なし(詳細は前号をご覧ください)。
「間接侵略」の定義を改め、かつ「その他の緊急事態」を明確に定義するか、弾力的に運営することで、かなり普遍的に様々な事態に対応できます。
さて、ここまで、4つの大前提、手続に関する論点、個別事例検討の是非、内容に関する自衛隊法第76条・78条の重要性について解説させていただきました。
そのうえで、政府が現実的な検討課題としている日本周辺有事とホルムズ海峡での機雷除去について考えます。
ここまでの解説に同調していただける方の多くは、「なるほど、日本周辺有事にはほとんど対応可能だ」とお感じのことと思います。そのとおりです。
日本の領域(領土・領海・領空)は当然のこととして、領域外でも日本周辺であれば、この論理を援用可能。あとは、どこまでが「周辺」かという「定義」です。
「我が国」つまり「国民、領土、主権」が危機に晒されるならば、「周辺」の「定義」もかなり弾力的です。とくに「国民」の生命が危機に晒されるならば、たとえ遠隔地であっても、当該国の了解の下で「国民」を保護することは国家の責務です。
一方、ホルムズ海峡での機雷除去については、さらに別の要素も加味して考えなくてはなりません。日本が独自に定め得る原理原則だけでは対処できない要素を含んでいます。
機雷除去のための自衛隊による掃海活動は、湾岸戦争後のペルシャ湾で行われました。日本艦隊(練習艦隊等は除く)が海外任務でインド洋を渡るのは、第1次大戦の地中海派遣、第2次大戦のインド洋作戦以来。また、掃海活動は朝鮮戦争における海上保安庁特別掃海隊(1950年)以来のことでした。
ペルシャ湾での掃海活動は湾岸戦争後。つまり、停戦・終戦後。今回、政府が固執しているのは停戦・終戦前、つまり戦争中の掃海活動です。
戦争中の掃海活動、つまり交戦中の国が敷設した機雷を除去する行為は、当該交戦国からは武力行為と見なされるのが国際的コンセンサス。自らが設置した武器が破壊されることと同義であり、戦車、戦闘機、戦艦が破壊されるのと同じことです。
ホルムズ海峡での停戦・終戦前の機雷除去を合法化しようという政府の考えは、明らかに無理があります。
ここまで読んでいただいた読者の皆さん、お疲れでしょうが(笑)、あと4つ、重要な事項を理解していただく必要があります。ひとつは、ホルムズ海峡での機雷除去に関して政府が次々と根拠を拡張していることです。
最初の根拠は個別的自衛権。原油輸入を中東に依存する日本にとってホルムズ海峡は生命線。したがって、ホルムズ海峡における機雷除去は個別的自衛権の発動と主張。
次の根拠は米国との集団的自衛権。米軍との交戦国が敷設した機雷の除去は、当該交戦国への日本の武力行為と同義。日本の参戦を意味します。
先週になって登場した3番目の根拠は集団的安全保障。米国が交戦している状態から、国連多国籍軍による交戦に移行した場合、集団的安全保障を根拠にしないと日本の掃海活動が継続できないとの理由です。
冷静に考えて、ギリギリ是認できるのは個別的自衛権による公海上の機雷除去まで。公海上を航行する日本船籍のタンカー等の乗組員(日本人)が被害に遭うのを未然に防止するという理屈です。集団的安全保障まで論拠を拡張するのは明らかに行き過ぎです。
もうひとつは個別的自衛権の行使要件の弾力化。具体的には「急迫不正の侵害があること」という要件に「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追及の権利が根底から覆されるおそれがあること」という内容を付加しようというものです(表向きは高村自民党副総裁による提案)。
文中に含まれる「おそれ」という表現の是非が論争の的。批判的論者は「おそれ」の判断が恣意的に行われると指摘。もっともです。「急迫不正」に限りなく近い「おそれ」は「急迫不正」と同義であり、行使要件を変更する合理性はないでしょう。
3つめは集団的自衛権の相手国である「密接な関係にある国」の定義。ここまでの論理展開に基づけば、相手国が米国であるならば、日米安保条約があるからこそ個別的自衛権で対応可能。
ところが、外務省は「密接な関係にある国」は「条約関係にあることは必ずしも必要ない」と解釈。驚きです(詳しくはメルマガ前号をご一読ください)。
この解釈はニカラグア事件のICJ判決に基づくものだと外務省から説明がありましたので、「その根拠を示してほしい」と要請。
外務省が提出してきた根拠は書籍(「国際法」中谷和弘・植木俊哉著、有斐閣アルマ)の該当部分のコピー。しかし、該当部分を読んでもICJ判決からの引用と確信できない表現だったので「判決原文に当たって確認してほしい」と再要請。
すると、担当課長から以下の内容を記したファックスが送られてきました。曰く「改めてICJニカラグア事件判決を確認したところ、同判決にはそのような明示的な記述があるわけではなく、当該記述は同著の著者の解説であることが判明致しましたので訂正させていただきます。ミスリードした説明となってしまい、申し訳ございません」(原文ママ)。
率直に間違いを認めて訂正したことは評価しますが、要するに「条約関係にあることは必ずしも必要ない」ことの根拠はないということです。その内容が政府答弁としてまかり通っていることには驚きます。
担当課長からのファックスには次のような補足記述もありました。曰く「また、本件に関し、国連憲章の逐条解説として最も権威のあるものの一つであるコマンテール(アラン・プレ他共著)においては、『自衛権のもとに行動する2国間の条約、それがない場合には、侵略の犠牲国の側の明確な要請が存在しなければならない』とされており、条約関係にあることは必ずしも必要ないとされています」。
これも特定の一文献の記述に過ぎません。何ともいただけない抗弁です。
日本の安全保障政策について、外務省や担当官僚の裁量で、特定の学者の意見、あるいはその著書にたまたま記述されていた内容を「これ、いただき」というような軽い感覚で採用して決めてもらっては困ります。
国民や自衛官の命がかかっていることを、机上の学問の延長線上のような感覚で対応している職務姿勢には愕然とします。
メルマガ前号でお示ししたとおり、岸田外務大臣に「(密接な関係にある国の定義を)誰がオーソライズ(公式に確定)するのか」と聞いた趣旨は、国際法の解釈についてコンセンサスが成立していないことについては「国が自らの意思で責任をもって判断しなくてはならない」ということです。
外務大臣も外務官僚も認識不足。大いに反省を求めます。
最後のひとつは、集団的自衛権の行使要件として「実体的利益侵害」の必要性の有無。この点はメルマガ298号(2013.10.30)で解説済みですが、要はこの論点も定説はなく、日本政府が自らの意思で自らの基準を明確にしなくてはならないということです。
居酒屋談義、談論風発に盛り上がることを期待しています。
(了)