政治経済レポート:OKマガジン(Vol.312)2014.5.24


「愛知会議」参加者を募集します。「愛知会議って何」と思われた皆様、ホームページ(URL:aichikaigi.jp)にアクセスしてください(27日以降)。全回、僕がファシリテーターを務めます。これからの日本のあり方を、一緒に考え、議論していただければ幸いです。


1.あなたならどうする

時々テレビの討論番組に出演させていただくと、いろいろと勉強になります。本日(5月24日)はTBS「あさチャンサタデー」。話題は年金の返還請求問題。

きっかけは視聴者からのメール。年金事務所から突然、240万円の返還請求が届き、ビックリしたということです。それはそうでしょう。誰でも驚きます。

返還請求が送られてきた直接の原因は、過去に支払われた年金給付の過払い(もらい過ぎ)があったからです。

そう聞くと「もっともだ。返還は当たり前だ」という意見もあるでしょうが、過払いが起きた理由は日本年金機構(旧社会保険庁)の事務ミス。必ずしも「当たり前」とは言えません。

日本年金機構の発表によれば、平成24年度の事務ミス等は2670件。うち、年金給付関係が1079件と最多。全体の40.4%を占めます。

給付不足・未払いの場合は、事後的に支払われれば受給者も納得。しかし、過払いの場合の返還請求には、受給者も簡単には納得できないでしょう。当事者の気持ちになってみれば理解できます。

もちろん、過払い分がしっかり残っていれば、返還するのは当然。例えば、上記の視聴者のケースでは、「何か給付金が多いなぁ」という自覚症状があり、手許に240万円が残っていれば、それは返還していただくのが筋論です。

しかし、既に手許にない場合(使ってしまった場合)、返還するだけの蓄え(貯金)がない場合でも、返還請求が行われていることについては、よく考えてみる必要があります。

返還請求を行う根拠は、「不当利得の返還義務」を定めている民法703条。全文をご紹介します。

「法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う」。

過払い分は過去の全期間に遡って返還請求されるわけではなく、時効が成立していない5年分。これは、下記の会計法30条が根拠です。

「金銭の給付を目的とする国の権利で、時効に関し他の法律に規定がないものは、5年間これを行わないときは、時効に因り消滅する。国に対する権利で、金銭の給付を目的とするものについても、また同様とする」。

つまり、上述の視聴者は、過去5年分の時効が成立していない過払い分240万円を、民法703条に基づいて突然返還請求されたということです。

さて、人ごとではありません。読者の皆さんが当事者になった場合、どのように考え、どのように行動するでしょうか。つまり「あなたならどうする」。

因みに、年金給付関係の事務ミス1079件のうち、未払い事案が539件(総額5.5億円、平均額103.3万円)、過払い事案が241件(総額2.3億円、平均額99.4万円)。

繰り返しになりますが、返還するだけの蓄えが十分にある場合には、当然返還すべきもの。しかし、既に手許にない場合、蓄えがない場合、どうするのでしょうか。

2.民法703条

そこで、返還請求の根拠となっている民法703条について、ちょっと考えてみたいと思います。

まず、「法律上の原因なく」というくだりは「法律上の根拠なく」という意味です。つまり、事務ミスによって法律に定めた金額以上の給付を受けてしまうこともこれに該当します。

この点は理解できます。しかし、ここから先に2つの重大な論点があります。

ひとつは、「他人の財産又は労務によって利益を受け、他人に損失を及ぼした」というくだりの、「他人」の定義です。

現在の考え方は、この「他人」は「年金制度に加入している他の人たち」であり、過払い(もらい過ぎ)によって「他の人に迷惑をかけている、不公平だ」ということでしょう。

厚労省、法務省に確認していませんが、おそらくそういうことだと思います。

過払いを受けた「本人」とそれ以外の年金加入者である「他人」の間には、何の接触もつながりもありません。「本人」と「他人」の間に介在するのは、事務ミスを犯した日本年金機構。ところが、日本年金機構はどこにも登場しません。

過払い分の返還請求権は、国つまり日本年金機構が保有・行使するものであり、日常的な感覚では、この場合の「他人」とは日本年金機構であると思うのが普通。

しかし、国つまり日本年金機構は国民の代理人であり、法律的な返還請求権は「他人」たる「本人」以外の年金制度加入者。こう考えるからこそ、民法703条を根拠としているのでしょう。

つまり、「他人」の定義が、日常的な感覚と、法律的な解釈で異なるということですが、だからといって、日本年金機構の事務ミスが不問に付されるというのは合点がいきません。

もうひとつの論点は、そのあとの「その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う」というくだりの「その利益の存する限度において」の解釈。

例えば、既に過払い分を使ってしまい、相当分の貯蓄もない場合、どうするのでしょうか。

過払いを受けていた夫が死亡した際には、相続人である妻や子供にも返還請求が及びます。しかし、夫の相続財産がほとんどない場合、どうするのでしょうか。

こうした場合の検討はほとんど行われていないようですが、「その利益の存する限度において」というくだりから解釈すれば、相当分の貯蓄も相続財産もないケースにおいては、返還義務がないと言えるのではないでしょうか。

このくだりは、法律家の間では「現存利益の返還義務」と言うそうです。つまり、既に「現存利益」がない場合には、返還義務がないということです。

従来は民法703条を根拠に当然のように行われてきた事務ミスによる過払いの返還請求。当事者になったつもりで考えてみると、再検討が必要な気がします。

3.箍(たが)の締め具合

この問題を考える際に、もうひとつ参考にすべき現行制度のしくみがあります。それは「内払い調整」。

何だか社会保険労務士の皆さんの分野に深入りしてきました。社労士の先生方、間違いがありましたらどうぞご指導ください。

「内払い調整」とは、例えば、夫の死亡届の提出が遅れたり、出し忘れたりして、本来であれば停止すべき年金給付が支払われた時などに、その後に妻に支払うべき年金の内払いとみなして調整を行うしくみです。

国民年金法21条に定められたしくみですが、この「内払い調整」は国民年金と厚生年金の間でも行われますが、共済年金との間では行われません。また、労働者災害補償保険法12条にも同様のしくみが規定されています。

「何だか難しくなってきたなぁ、もう読むの止めようかなぁ」と言わずに、もう少し我慢してください(笑)。

さて、この「内払い調整」に関する例外規定に、今回の事案(年金過払いの返還請求)を再検討する際のヒントがあると思います。

その例外規定とは、「計算間違いの場合には内払い調整の規定は適用されない」ことを定めた昭和40年9月3日の通達。つまり、事務ミスの場合の例外規定を定めているのです。

同様に考えれば、過払いの返還請求についても、日本年金機構自身の事務ミスの場合には、何らかの工夫があって然るべきでしょう。

さらに、国民年金法24条には「給付を受ける権利は、譲り渡し、担保に供し、又は差し押えることができない」とも定められています。

これらを総合すると、今回の視聴者の方のような場合、仮に過払い金が既に存在しないとすれば、保険給付の差し押さえや内払い調整を行われることはというのが僕の理解です。

もちろん、繰り返しになりますが、過払い(もらい過ぎ)の自覚症状があり、過払い分が残っていれば、返還していただくのが筋であることは再度念押ししておきます。

日本年金機構には箍(たが)を締め直して堅確な事務を行うことを求めたいと思いますが、年金制度は複雑で難解。事務ミスは一定の確率で発生するでしょう。

過失や不注意で発生した事務ミスで年金財源を毀損する場合に備えて、職員給与の一定割合(例えば0.01%)を損失引当金として共同で積み立てる等の努力を行わないと、国民の皆さんの納得が得られないかもしれません。

その場合、国会議員も共同責任で歳費の一部を積み立てるべきでしょう。あるいは、日本年金機構のみならず、行政の様々な過失責任に備えて、特別公務員(議員等)を含む公務員全体でそうした制度を構築するのも一案です。もちろん、重大過失を犯した当事者は何らかの責任をとるべきでしょう。

しかし、厄介なのは、年金制度の不備や重大な事務ミスに責任のある政治家、幹部官僚、職員は、既にリタイアしたり、死亡しているケースもあるのが年金問題の悩み。現在の関係者だけを責めるのは少々酷かもしれません。

上述の箍(たが)は、ご承知のとおり、桶や樽などの外側にはめて締め固めるベルトのようなもの。竹を割いて編んで輪にしたものや金属製のものもあります。

日本年金機構は箍の緩みを反省し、自ら箍を締めるべし。一方、年金制度も箍を緩め過ぎ、箍が外れた状態になっては本末転倒。ますます信用を失います。

不当利得の返還義務、内払い調整の例外規定、保険給付の保護規定等の実情を精査し、見直すべきは見直して、適度な箍の締め具合にしてこそ、逸品の「桶や樽(年金制度)」になることでしょう。

あまりに複雑で難解な現在の年金制度は、箍を締めたつもりで、実は隙間だらけの「桶や樽」。今後も、簡素でわかり易い「逸品の年金制度」を実現するために頑張ります。

(了)


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