政治経済レポート:OKマガジン(Vol.310)2014.4.28


集団的自衛権を巡る論争に注目が集まる国会ですが、ゴールデンウィーク(GW)明けには労働者保護ルールに関する重要な論争が佳境を迎えます。医療・介護・子育てに関する政策分野でも後退の動きがあり、5年に1回の年金財政計算もまもなく公開予定。社会保障からも目が離せません。


1.ホーソン実験

GWスタートの先週末(26日、27日)、全国各地でメーデーの式典が開催されました。メーデーは「May Day」。つまり「5月の日」。

欧州では夏到来を祝う日でもありますが、同時にメーデーと言えば「労働者の日」。メーデーと聞いて意味や経緯がわかる読者は労働運動に詳しい人ですね。

「労働者の日」としてのメーデーは、1886年5月1日、シカゴを中心に行われた統一ストライキが起源。

現在のアメリカ労働総同盟(AFL)の前身が行動母体。「8時間労働制」の実現を求めた統一ストライキでした。

その当時は 1日12時間、14時間労働が当たり前。労働者は「1日24時間のうち、8時間は仕事のため、8時間は休息のため、残りの8時間は自分の好きなことのために」が合い言葉となりました。

因みに、日本におけるメーデーの先駆けは1905年(明治38年)に開催された集会。労働団体主催の第1回メーデーは1920年(大正9年)5月2日、上野公園で行われました。

当時の記録を読むと、約1万人の労働者が参加。「8時間労働制実施」「失業防止」「最低賃金法制定」等が主な訴えだったようです。

シカゴはメーデーだけでなく、ILO(国際労働機関)が推奨する「ディーセントワーク(Decent Work、働きがいのある人間らしい仕事)」の起源にも関係の深い場所です。

1924年、シカゴ郊外、ウェスタン・エレクトリック社のホーソン工場で、職場における人間関係や生産性に関する実証研究がスタート。8年間にわたって継続され、「ホーソン実験」として知られています。

詳細は割愛しますが、結論的に言えば、労働者の尊厳と自主性を重んじた職場運営を行った場合が、最も生産性が高く、良好な人間関係が構築されたそうです。

「ホーソン実験」に端を発し、人間の行動原理を研究する学問分野が発展。その系譜は脈々と続き、1964年、ブルーム博士が「モチベーション理論」を提唱。1975年、その弟子のデシ博士(ダジャレではありません)が「内発的動機づけ」という概念を発表しました。

人間は面白いと思うことには一生懸命取り組む、職場における管理目標(生産数・販売数等)はあくまで「手段」であり、「目的」でない。その仕事を通じて、社会貢献や自己実現、要するに「やりがい」「働きがい」を感じられるかどうかが生産性や業績を向上させるポイントである、というのが結論です。

さて、GW明け後に佳境を迎える労働者保護ルールの変更を巡る論戦。政府・与党が目指す変更は、果たして労働者の「やりがい」「働きがい」「ディーセントワーク」に資するものでしょうか。

2.ホワイトカラー・エグゼンプション

あえて労働保護ルールの「変更」と表現しました。労働者保護ルールの「見直し」「改正」という表現がテレビや新聞で飛び交っていますが、違和感があります。

「見直し」「改正」には既に一定の価値観が伴っています。個人的には「改悪」と言うべきものと思いますが、もちろんこれにも価値観が伴っています。

今回の動きを「是」とする人たちもいるでしょうから、ここは公平に「変更」と表現しつつ、「是」とする人たちにもよく考えてもらいたいと思います。

例えば、「ホワイトカラー・エグゼンプション(White Collar Exemption)」。先日、「それって裁量労働制ってやつでしょ。別にいいじゃん。短い勤務時間でやることやればいいんでしょ」と言う若いサラリーマン(もちろん実名は開示できませんので、仮名「安倍くん」)に遭遇して驚きました。以下、安倍くんに語ります。

安倍くん、「ホワイトカラー・エグゼンプション」って、何だが英語だから聞こえが良くて、フレックス・タイムと似たようなものと誤解してませんか。

安倍くん、そもそも「エグゼンプション(Exemption)」って「控除」「除外」というような意味だってわかってますか。

「ホワイトカラー・エグゼンプション」は日本語では「労働時間規制適用免除制度」と訳されていますが、安倍くん、「規制」が「免除」という訳語からの連想で、深く考えもせず、「それっていいじゃん」と思ってませんか。

要するに「サラリーマンには残業代を払いません」「ノルマを果たすまで、何時間でも働いてください」ということですよ、安倍くん。だから、サラリーマンを労働時間規制から「除外」するという意味で「エグゼンプション」。

安倍くん、「だって僕は優秀だから関係ないもモン」って思ってませんか。それは思い過ごしかもしれませんよ。

1886年のメーデーの起源が「8時間労働制」の要求だったことを思い出してください。8時間以上働いても残業代がつかない制度が導入されるということは、それ以前の社会に戻ってしまうということですよ。あ、そうか。安倍くんは復古主義でしたねぇ。

まあ、安倍くんはともかくとして、読者の皆さん、こうした労働者保護ルールの「変更」が、産業競争力会議という法的根拠の脆弱な首相の私的諮問会議で決まっていることにも危機感を感じてください。集団的自衛権と同じ展開です。

産業競争力会議で労働者保護ルールの「変更」が主張されるということは、労働者が日本の産業競争力が低迷している原因であるという文脈ですが、全く笑止千万。

そんなことを主張するような経営者は、経営努力や経営戦略の意味がわかっていないと言えます。企業や組織が「人」で成り立っており、「人」を動かす要諦は何か。全く理解できていないということです。

産業競争力会議のメンバーをよく確認しておきます。

3.メーデー、メーデー、メーデー

ほかにも問題の多い「変更」が数多く俎上に登っています。解雇の金銭解決制度の導入、派遣労働の拡大、限定正社員制度の導入等々。

解雇の金銭解決制度はとりわけ品が悪い。「金さえ払えば文句ないでしょ」という印象を感じてしまうのは、僕だけでしょうか。

ホーソン実験や人間行動学、経営の要諦を理解している良質な経営者の皆さんには、到底思いも及ばない発想だと思います。

人間は「金」のためではなく、「やりがい」や「働きがい」のために労働するのです。もちろん、「金」も重要です。生活に足る収入、働きに応じた収入を求めることは当然であり、「金」が無関係であるはずはありません。

したがって、収入の水準については経営者と個々の従業員、労使間でよく話し合われるべきでしょう。しかし、従業員側にも自制心が必要です。企業経営が困難になる水準を求めては、話し合いの落とし所は見い出せません。

解雇の金銭解決制度導入の深層心理には、従業員はどうせ「金」のために働いているという意識があり、「やりがい」「働きがい」と従業員のモチベーションの関係を理解できていないと言わざるを得ません。

そういう制度の導入を首相が推奨するということは、「日本株式会社」つまり日本社会をそういう方向に向かわせるということです。

「やりがい」「働きがい」に重きをおかない首相や経営者が司る国や企業が真の意味で繁栄するはずはありません。

ところで、「労働」の「労」の字は「ねぎらう」と読みます。「人」が「動」くことを「労(ねぎら)う」。それが「労働」の意味です。

古今東西、太古の時代から「労働」はあります。「労働」は生活の糧を得るとともに、生きることそのもの。狩猟、農作業、建築から祈りの儀式まで、全て「労働」です。何らかの目的で「人」が「動」き、それを「労(ねぎら)う」。

近代になり、資本主義及びマルクス主義の下では「労働」の本源的・倫理的意味は意識されず、「労働」は労働者が糧(かて)を得る対価としての「商品」であり、生産手段(設備等)をもたない労働者は生産の結果得られる付加価値部分を資本家に搾取されると説明されました。

どちらも、「労働」の最も重要な本質を見逃しています。そういう観点から、1944年5月10日のILO(国際労働機関)のフィラデルフィア宣言第1条に掲げられた言葉は非常に重要です。曰く「労働は商品ではない」。

ところで「メーデー」で遭難信号を連想した人もいるかもしれません。「メーデー」は音声無線で発信する世界共通の遭難緊急信号です。

フランス語の「ヴネ・メデ (venez m'aider)」に由来し、「助けに来て」という意味。「メーデー、メーデー、メーデー」と3回繰り返し、その後は船舶名と「メーデー」を繰り返すルールです。

「労働」を経営者が自由自在に売買できる商品と見なし、「労働」の本質を理解しない指導者が司る組織は、国であれ、企業であれ、遭難する確率は高いでしょう。

「メーデー、メーデー、メーデー、日本、メーデー」

(了)


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