政治経済レポート:OKマガジン(Vol.299)2013.11.13


特定秘密保護法案の審議が国会で佳境を迎えています。急速な技術進歩により、今や資料やデータは全て永久保存できる環境が実現。例えば、6TB(テラバイト)のハードディスクであれば、人生80年(1日16時間活動)の間、毎分230KB(キロバイト)のデータを保存可能。20秒に1枚の写真(JPEG画像)を収め、個人の人生を映像で残しうるデータ量です。どんな情報でも、いつかは開示されるように永久保存することが重要なポイント。秘密保護は、完全な情報保存及び完全な情報開示とセットでなければなりません。


1.韜光養晦

11月9日からスタートした中国共産党の重要会議、第18期中央委員会第3回全体会議(三中全会)が閉幕。経済力も軍事力も肥大化し、今や「G2(米国と中国の二大大国)」と言われる中国。会議の動向に世界が注目していました。

このメルマガも次回で300号。折に触れて中国に関連する問題を取り上げてきました。振り返ってみれば、国際政治や中国史の歴史的転換局面の中でメルマガを書き続けていることを痛感します。

東西冷戦終結(ベルリンの壁崩壊は1989年11月10日、ソ連崩壊は1991年12月25日)後、時の最高実力者であった鄧小平が中国のその後の方向性を国民に示しました。

「先冨論」(先に富める者から豊かになり、国家を牽引せよ)という共産主義と矛盾する方針を掲げ、「南巡講和」を行った鄧小平。

1992年1月から2月にかけて、鄧小平が相対的に経済力の高い武漢、深圳、珠海、上海等の南部各都市を巡回。「先冨論」に基づく「改革開放路線」に関する重要な声明を発表した一連の演説を「南巡講和」と言います。

「先冨論」「南巡講和」とも、このメルマガでも幾度となく言及しました。そして今、経済的にも軍事的にも台頭した中国を目の前にして、「先冨論」と並んで鄧小平が示したもうひとつの重要な言葉「韜光養晦(とうこうようかい)」を噛み締めなくてはなりません。

「韜光養晦」。「光」は能力や才能のことを指し、それを「韜(つつ)み」「養(やしな)い」「晦(かく)す」の含意。出典は唐代の歴史書。野心や才能や隠し、周囲を油断させて、力を蓄えるという処世訓。

鄧小平は激動の国際情勢の中で、中国は「韜光養晦」、つまり「当面は力を蓄える」という方針を徹底したと解されています。

その後の国家主席である江沢民(在任1993年から2003年)期、及び胡錦濤(同2003年から2013年)期前半は「韜光養晦」の方針を堅守。

経済発展のためには平和的国際環境が必要として、総じて協調的な外交姿勢を選択。胡錦濤体制では「隣国を友とし」「大国との関係を重視する」(2002年第16 回共産党大会)、「平和的発展」「和諧(調和)世界」(2007 年第17 回共産党大会)等のキーワードを駆使し、そうした外交姿勢を実践しました。

この間、2001年、共産主義国家でありながらWTO(世界貿易機構)に加盟。以来、着実に経済力を高め、2008年の世界金融危機(リーマンショック)の際は欧米諸国に先駆けて難局を脱出。2010年、GDP(国内総生産)は日本を抜き、世界2位の経済大国に浮上。

そして誕生した習近平体制が発足して1年。自信をつけた中国は、経済力、軍事力の双方で、「韜光養晦」の方針を転換したように思えます。そう考えると、過去1年の軍事行動の背景も理解し易くなります。

2.A2AD

転換の傾向は、胡錦濤期の終盤に徐々に顕現化していました。2009年7月の駐外使節会議(5年に1回開催される駐在大使会議)の演説の中で、胡錦濤は注目すべき発言を行っています。

鄧小平が示した「韜光養晦」には後半の四文字があります。すなわち「韜光養晦、有所作為」。胡錦濤は鄧小平の遺訓を「堅持韜光養晦、積極有所作為」と修正して表現。

後段の「有所作為」がなかなか難解。「やることを淡々とやる」とも解釈できるし、「やるべき時にはやる」とも訳せるそうです。中国語に詳しい人に聞いても、断定できません。

しかし、鄧小平の「南巡講話」に関する記録を当たると「やるべき時はやれ、時が来たら成果を出せ」と付言していたという説もあります。

それが事実であるとすれば、「韜光養晦、有所作為」を我流に解釈すれば「力を蓄え、時期を待て」という含意でしょうか。

そういう前提で考えると、胡錦濤の「堅持韜光養晦、積極有所作為」は「力を蓄える方針は堅持しつつも、時節到来、積極的に行動する」。

折しも、世界2位の経済大国の座が目前に迫った時期。米国も中国を意識し、2009年のオバマ大統領訪日時にTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を提唱。西太平洋、アジアにおける経済的主導権を確保しようと躍起になっていました。

対する中国。「堅持韜光養晦、積極有所作為」の方針の下、TPPにはRCEP(東アジア地域包括的経済連携)で対抗。また、APEC(アジア太平洋経済協力)やEAS(東アジア首脳会議)でも主導権を握ることに腐心。

以後、米中が鍔(つば)迫り合いを演じる局面が継続。そうした中、10月初旬のAPECとTPPの会合をオバマ大統領が欠席。財政悪化に伴う米政府機能一部停止の余波です。米中の覇権争いのバランスに微妙な影響を与えたことは否定できません。米国の巻き返し策に注目です。

一方、軍事面。「積極有所作為」の動きは顕著。2007年には米中海軍首脳会議において、中国がハワイを境に太平洋を分割統治することを提案。その事実を米太平洋軍キーティング司令官(当時)が米議会公聴会で証言。

以来、第1列島線(日本列島から沖縄、台湾、フィリピンを結ぶライン)、第2列島線(伊豆諸島、小笠原諸島、グアムを結ぶライン)を意識した軍事戦略「A2AD」を展開。「A2」は「Anti Access」の略で「接近阻止」、「AD」は「Area Denial」の略で「領域拒否」を意味します。

すなわち、第1に「第1列島線」の大陸側に米軍を侵入させない「領域拒否」。第2に「第2列島線」で米軍を食い止める「接近阻止」。

その中心舞台は、東シナ海、尖閣諸島、及び宮古島と沖縄本島を挟む海域。中国軍はこの海域でのプレゼンス(存在感)を着実かつ計画的に高めています。

先月18日から今月初旬にかけて、中国海軍の3艦隊(北海、東海、南海)が西太平洋に集結して大規模軍事演習「機動5号」を実施。

3艦隊は宮古島と沖縄本島の間(つまり「第1列島線」)を通過して西太平洋に進出。中国メディアも「3艦隊が初めて同時に第1列島線を突破」と報じています。

過去1年の習近平体制。胡錦濤が示した「堅持韜光養晦」の方針も転換し、明確に覇権主義を追求しているように見えます。

3.風林火山

昨年末の安倍政権発足以来、日本に対する行動もエスカレート。「中国脅威論」を公言し、「中国包囲網」という表現を駆使する安倍首相に対する牽制であることは明らかです。

1月、中国海軍艦艇が海上自衛隊護衛艦に火器管制用レーダーを照射。まずはきついジャブでした。以後、領空侵犯が頻発。航空自衛隊のスクランブルも急増。昨年比倍増の勢いです。

6月から7月にかけて海軍艦艇5隻の艦隊が対馬海峡から日本海に侵入。北上して宗谷海峡を通過し太平洋(日本列島東側)を南下。最終的に宮古島と沖縄本島の間を抜けて東シナ海へ入り、中国艦隊が初めて日本列島を周回。

同じく7月。中国の早期警戒機「Y8」が宮古島・沖縄本島間の空域を抜けて太平洋に初めて進出。上記艦隊との共同行動と推測されます。

9月、今度は爆撃機が初めて「第1列島線」を越えて太平洋に進出。同月、尖閣諸島近海に中国製無人機が初飛来。

11月8日、大型爆撃機「H6」も「第一列島線」を突破。既に艦載機の離着艦訓練を始めている中国初の空母「遼寧」(ソ連空母「ワリァーグ」改造艦)が太平洋に進出するのは時間の問題。

この間、中国海警が断続的に尖閣諸島周辺の領海を侵犯。管轄権を有するかの如く行動し、領有権の既成事実化を企図していることは明らかです。

しかし、こうした一連の軍事行動は内政面での不安要素と裏腹。国民の目や不満を対外的緊張に向けさせる常套手段としての意味があります。

中国の著しい経済発展の内実は無理な投資型開発や異常な金融緩和に支えられています。貧富の差や都市と地方の著しい格差、共産党幹部や官僚による汚職等に対して、国民の不満が鬱積していることは周知の事実。こうした点も過去のメルマガ(286号<2013年4月28日>等)で再三指摘してきました。

そして今回の「三中全会」直前に発生した天安門前での自爆テロや山西省連続爆破事件。東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)など、支配・抑圧されている少数民族の不満が一段と高まっています。

インターネットの普及等と相俟って、民主化運動を進める内外の「地下組織」も増殖。さらに「上訪者」。自らの不平不満を当局や政府(要するに「上」の権力側)に訴える人々という意味で「上訪者」が急増。

今日(13日)の朝刊では、「三中全会」での決定事項の骨子は、市場重視の「改革開放路線」の継続、社会統制強化のために「国家安全委員会」の新設と報じられています。

習近平体制は、内政面では融和策よりも弾圧策を選択。実際の対応は今後の趨勢を見極めなくてはなりませんが、内政のガス抜きを外政で指向する傾向は続きそうです。

中国の古典「孫子」の「謀攻編第一」に曰く、「是の故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。故に上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む」。「孫子の兵法」の高名な一節です。

「百戦百勝は優れたことではない。戦わないで相手を屈服させるのが優れたことだ。最善の戦いは相手の謀略を未然に打ち砕くこと。その次は相手を孤立させること。その次は相手と交戦すること。最悪は相手の城を攻めること」。

「孫子の兵法」は科学的に「ゲーム理論」や「ランチェスター戦略」でも活用されており、中国指導部も参考にしていると言われています。

「中国脅威論」「中国包囲網」を公言し、「敵基地攻撃能力」云々を表だって議論し始めている安倍首相。相手につられ、「孫子の兵法」の3番目、4番目の策に陥り始めているような気がします。

対中国の経済・外交・安全保障戦略においては、鄧小平の遺訓「韜光養晦、有所作為」が日本にも当てはまりそうです。

日本の軍略家と言えば戦国武将・武田信玄。「風林火山(ふうりんかざん)」の旗印も「孫子」に由来。「軍争篇第七」に曰く、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」。この局面、「徐(しず)かなること林の如し」「動かざること山の如し」は「韜光養晦、有所作為」に通じるものを感じます。

(了)


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