アルジェリアで犠牲になられた皆様のご冥福をお祈りし、心から哀悼の意を表します。邦人のみならず、世界の人々がこうした惨禍に巻き込まれないように全力を尽くさなくてはなりません。
振り返ってみれば、記憶にある大きな邦人人質事件は5件。昭和時代は国際的なテロに日本人が巻き込まれることはあまりなかったと言えます。
第1は、最も古い1970年の「よど号」ハイジャック事件。日本赤軍の犯行グループが日航機をハイジャック。北朝鮮行きを要求し、韓国金浦空港に強硬着陸。
山村新治郎運輸政務次官が乗客の身代わりとして人質になり、北朝鮮平壌に移動。最終的に山村次官は解放されましたが、政治家の模範たる行動でした。
第2は1977年のダッカ事件。やはり日本赤軍の犯行グループが日航機をハイジャック。バングラデシュのダッカ空港に強硬着陸し、身代金や拘留中の仲間の釈保を要求。
福田赳夫首相(当時)の「人命は地球より重い」という発言は子ども心に記憶に残っています。結局、身代金を渡すとともに、超法規的措置で連続企業爆破犯ら6人を釈放。
1990年代、平成時代に入ると国際的なテロが邦人を襲います。第3の1996年ペルー日本大使公邸人質事件では、ペルー特殊部隊が強行突入。銃撃戦の末、人質1人、特殊部隊2人が死亡する一方、犯行グループ全員を射殺。邦人は全員無事でした。
それから3年後、第4の1999年キルギス邦人人質事件。イスラム武装勢力が鉱山技師など邦人4人を拉致。約2か月後には全員解放されたもの、解放交渉の中身は不詳です。
第5は2004年イラク邦人人質事件。自衛隊のイラク撤退を求める武装勢力が邦人6人を拉致。日本政府は「国際テロ緊急展開チーム(TRT<Terrorism Response Team>)」を派遣。5人はイラク聖職者団体の仲介で救出されたものの、1人が犠牲になりました。
「TRT」は邦人が国外でテロに巻き込まれた際に出動し、情報収集や現地当局の支援を行います。いわゆる「特殊部隊」ではありません。
ペルー日本大使公邸人質事件を契機として1998年に設立され、コロンビア邦人副社長誘拐事件(2001年)やバリ島爆弾テロ事件(2002年)等に対処。2004年に機能強化されて「国際テロリズム緊急展開班(TRT2)」と呼ばれるようになり、今日に至っています。
今回も「TRT2」がアルジェリアに派遣され、犠牲者の身元確認や犯行グループの情報収集に当たったものの、人質救出に直接関与することはできなかったようです。
日本の「特殊部隊」には警察の「特殊急襲部隊(SAT、Special Assault Team)」や自衛隊の「特殊作戦群(SFGp、Special Forces Group)」がありますが、「SAT」や「SFGp」が海外派遣されることは想定されていません。
米国FBI(連邦捜査局)やCIA(中央情報局)のテロ対策組織には物資調達、通信、医療等の専門家が所属し、武器使用も認められている一方、日本の「TRT」はそうした点での体制、権限、法的根拠等が未整備であり、今後の課題となっています。
「TRT」のメンバーには、英語、アラビア語、ペルシャ語などの高度な語学力が求められており、人材の確保、語学研修の充実等を支援していくことが必要です。
「文明の衝突」という概念は、1993年、米国の政治学者ハンティントンが同名論文を雑誌「フォーリン・アフェアーズ」に発表して登場。同論文がベースとなったハンティントンの著作「文明の衝突と世界秩序の再創造」(1996年)によって確立しました。
ハンティントンは冷戦後の国際紛争は文明間の対立が原因となり、とくに文明と文明が接する断層線(フォルト・ライン)での紛争が激化しやすいと指摘。2001年の同時多発テロ事件やそれに続くアフガニスタン紛争イラク戦争を予見したとして注目されました。
ハンティントンは主要文明を概ね次のように分類しました(かっこ内は誕生時期。BCは紀元前、ADは紀元後、Cは世紀)。
誕生順に列挙すれば、ヒンドゥー(BC20C)、中華(BC15C)、イスラム(AD7C)、西欧(主にキリスト教、AD8C)、東方正教(ビザンティン)(AD16C)の各文明です。
西欧文明と土着文明が融合したラテンアメリカ文明(主にカトリック)、極めて多様なアフリカ文明は主要文明に分類できないかもしれないとしています。一方、日本文明(AD2Cから5C)は中華文明から派生した単独国の孤立文明と類型化しています。
ハンティントンは、19Cから20Cに世界の中心であった西欧文明が、21Cは中華文明、イスラム文明に対して守勢に立たされると予測。今や西欧文明は、圧倒的優位を誇った先進文明という側面と相対的に衰弱しつつある衰退途上文明というふたつの側面を有すると指摘しました。
21Cにおいても西欧文明は相対的に最強であり続けることが可能であったとしても、その基盤(領土、生産力、軍事力等)の衰退は顕著であり、確実に縮小していくことも予測しています。
こうした状況下、世界の枠組みは、かつてのイデオロギー対立、東西対立を軸とする勢力圏に代わり、「フォルト・ライン」によって再構築され、冷戦中にはなかった「フォルト・ライン紛争」が頻発するとしています。
ヒンドゥー、中華、イスラム、西欧、東方正教の各文明がその当事者ですが、より大きく括れば、西欧文明と非西欧文明の対立と定義しています。政治的独立を勝ち取った非西欧文明は西欧文明の支配から抜け出すため、西欧文明との均衡を求めようとするからです。
ハンティントンはラテンアメリカ文明とアフリカ文明は西欧文明に対して劣勢であり、かつ依存的であるとして対立を予測していませんが、今後の発展次第では「フォルト・ライン紛争」に参戦してくる可能性を否定できません。
こうした文脈で考えると、1990年代以降のバルカン半島における民族問題やイスラム原理主義の台頭はハンティントンの予測した典型的事例と言えます。
中国が先の尖閣諸島問題の際に、尖閣諸島を「中国の領土」と言わずに「中華民族の領土」と表現したことは、こうした「文明の衝突」「フォルト・ライン紛争」の文脈を意識した言葉の選択です。中華文明全体を鼓舞する国家戦略を推進していると見るべきでしょう。
ハンティントンは、主要文明の中核国(例えば米国や中国)が「フォルト・ライン紛争」回避のための調停ルールを確立することが今後の世界平和の条件と指摘しています。
ハンティントンの定義どおり日本が単独国の孤立文明だとすれば、その特殊な立場を活かし、主要文明間の対立回避に何らかの貢献をすべきです。そのためには、「インテリジェンス」(次項)の能力を高めることが必須です。
今回の邦人人質事件を受けて、元外務省高官が主要紙のインタビューに答えて、日本の危機管理、情報収集のあり方について次のようにコメントしています。
曰く「米国では20を超える情報機関が基本的に情報を共有し、分析力の高さを競う。一方、日本では重要情報は共有されず、各省庁は各自が得た情報をいかに早く首相や官房長官に上げるかという瞬間芸を競う。意識改革が重要だ」。
同感です。的を射た指摘と言えます。政府や立法府の経験者にしかわからない実感です。なぜそうなのか。どうすれば改善できるのか。日本のガバナンスの構造問題のひとつと言えます。
組織内での功名に囚われ、プロフェッショナリズムよりも組織内の地位や肩書に対する評価に拘泥する日本人や日本社会の悪しき体質と無縁ではないでしょう。平和ボケ、島国根性、縦割りの弊害等々、いろいろな言葉が浮かんできます。
また「英仏などとの連携は重要だが、御用聞きのように『(情報を)ください』と頼んでもだめ。公開情報の中にも宝石のような情報はたくさんある」「(様々な資料を)丹念に読み込んで分析して初めて各国情報機関と意見交換できる」とも述べています。
これまた同感。「インテリジェンス」に関する基本的認識を確立する必要があります。
「インテリジェンス(Intelligence)」とは、収集された情報を加工、統合、分析、評価及び解釈して生産される成果物(プロダクト)で、国家が安全保障政策を企画立案・執行するために必要な知識と定義されます。広義では「インテリジェンス」が生産されるプロセス、工作活動、防諜活動、それを行う組織までを総称して「インテリジェンス」と言うこともあります。
「インテリジェンス」の収集、分析対象となるものは、独特の用語で呼ばれています。
「インフォメーション(Information)」は「生情報」とも言われ、報告、画像、録音された会話等の素材であり、未だに加工、統合、分析、評価及び解釈のプロセスを経ていないものを指します。
「インテリジェンス」は対象となる情報源によって分類されます。ひとつは「ヒュミント(Human Intelligence、HUMINT)」。人的情報源から得られる「インテリジェンス」です。
「シギント(Signals Intelligence、SIGINT)」は会話や信号の傍受による「インテリジェンス」。
「イミント(Imagery Intelligence、IMINT)」は画像による「インテリジェンス」。衛星や偵察機等の手段を駆使して収集された画像から生産される「インテリジェンス」も含まれます。
いずれも重要ですが、「文明の衝突」「フォルト・ライン紛争」を予測し、適切な回避行動をとるためには、「オシント(Open Source Intelligence、OSINT)」が重要です。
「オシント」とは報道や研究論文等の公開情報から生産される「インテリジェンス」です。世界中のニュースやレポートを丹念に収集、分析すると、自ずと様々な知見が得られます。
とりわけ、「文明の衝突」「フォルト・ライン紛争」に関するような「インテリジェンス」のレベルを上げていくには、他の文明圏のメディアや出版物、研究論文等を高度に分析する能力が求められます。
「オシント」能力に欠けているのが日本。それでは、他の文明圏でリスクと向き合いながら職責に精励する邦人を国際テロから未然に守る能力を高めることはできません。
狭義の安全保障、邦人保護に限らず、経済戦略や通商交渉、外交、あらゆる分野で「オシント」能力の向上を図るとともに、「ヒュミント」「シギント」「イミント」能力の向上にも注力していかなくてはなりません。
「インテリジェンス」は狭義の外交・防衛やテロ対策にとどまらない概念です。
(了)