世界同時株安に揺れた先週の株式市場。5日には米格付会社S&P(スタンダード・アンド・プアーズ)が米国債を格下げ。1941年に米国債が最上位AAA(トリプルA)に格付されて以来70年目、初の格下げです。週明けの世界の金融市場の反応が注目されます。
米国債格下げの原因は米国の財政赤字。14.3兆ドル(約1100兆円)の政府債務は法定上限に達していたことから、上限引上げと財政再建策を巡って民主党と共和党が対立。
結局、債務不履行(デフォルト)に至る期限(8月2日)ギリギリに両党が合意。もっとも、歳出削減額は市場や格付会社が期待した4兆ドルに至らず、10年間で2.4兆ドル止まり。その結果を受けての格下げでした。
米国債の裏付けは米ドル。米ドルの裏付けは米国の信用力。米国債が格下げされたことは、米国中心の世界の覇権体制(ヘゲモニー)、ドル基軸体制の弱体化を意味します。
ドル離れは静かに広がっています。10年前には世界の外貨準備の7割超がドルでしたが、今は6割まで低下。
しかし、現時点ではドルに代わる基軸通貨はありません。欧州もPIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)等の財政問題を抱えているため、現状ではユーロはドルの代役を果たせません。
中国人民元は変動相場制に移行していないうえ、通貨当局の不合理な規制が多く、基軸通貨の地位は担えません。その結果、消去法で投機資金が日本円やスイスフランに流入。円高、フラン高で日本とスイスは困っています。
1944年のブレトンウッズ体制で基軸通貨の地位がポンドからドルに交代し、ドル基軸体制がスタート。しかし、今日に至る過程でドル基軸体制は何度も試練に直面してきました。
日本やドイツの成長で1971年にはドルと金の兌換を停止。ニクソンショックです。そして1985年のプラザ合意。市場の調整力だけでは貿易不均衡を是正できず、日本円に大幅な調整(円高)を強要。
1999年にはドルに代わる基軸通貨を模索するユーロが登場。そして、2011年の米国債格下げ。一時的、一過性の現象ではなく、ドル基軸体制は確実に弱体化が進んでいます。
米国の財政赤字拡大は軍事費・戦費累積の歴史です。冷戦を契機に軍事費が拡大し始め、1960年代のベトナム戦争の戦費負担は財政赤字を急拡大させました。
日本やドイツの台頭は米国の貿易赤字も拡大させ、1970年代、80年代は米国の財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」が国際経済問題の中心。その状況は今も変わっていません。
米国の財政赤字は2000年代になってさらに悪化。その原因はテロとの戦い。アフガン戦争、イラク戦争を含めた「9.11」後の戦費は既に1兆2833億ドル(約103兆円)。さらに、リーマン・ショック後の景気対策としての巨額の財政出動。臨界点が近づいています。
米国債格下げはドル基軸体制の液状化の始まり。しかし、その先の代役は見い出せず、世界の通貨体制の先行きは混沌(カオス)です。
2007年のサブプライムローン破綻で発覚した米国のバブル。さらに2008年のリーマン・ショックでもバブルの残滓(ざんし)が破綻し、米国の企業・家計は過剰債務ショックに見舞われました。
不況を乗り越えるため、米国政府は国債を原資に巨額の財政出動。その政府債務の返済に対する不安がドル売りにつながり、国債も格下げ。悪循環です。
バブル崩壊を財政出動で支えきれず、長期低迷が続いた1990年代の日本。今の米国は日本が辿ったプロセスと極めて似ています。
企業や家計の過剰債務を政府に付け替え、景気回復による超過債務解消と税収増を企図。ゼロ金利政策、量的緩和政策も模倣したものの、その政策効果も剥落。世界経済の低迷で輸出も伸びず、米国の現状は日本のデジャブー(既視感)のようです。
ウォール街で使われている「ジャパニフィケーション」という造語。「日本化」現象を意味します。しかし、「日本化」現象は米国だけではありません。
英誌エコノミスト最新号の表紙は米ドルを象徴する緑色の着物姿のオバマ大統領とユーロのマークが入った簪(かんざし)を挿したメルケル首相を描いた風刺画。
見出しは「Turning Japanese - Debt, default and West’s new politics of palalysis -」。曰く「日本化、債務、デフォルト(債務不履行)、麻痺する政治」。欧米首脳が財政再建や経済危機収拾のための決断を避け続け、「日本化」しているという批判記事です。
「欧米で進行中の経済危機は20年前の日本の再現」と警鐘を鳴らし、「決断をしない政治家が問題を深刻化させ、景気後退をもたらしている」「待てば待つほど解決が難しくなることは、日本が身をもって示した教訓だ」と指摘しています。
そんな矢先の世界同時株安。欧州中央銀行(ECB)のトリシェ総裁が4日の記者会見で「欧州経済の先行きは不確実性が高い」「不透明感が高いのは欧州だけではない」と発言したことが契機です。
1944年にスタートしたブレトンウッズ体制は、基軸通貨をドルに定めただけではありません。財政政策と金融政策を「車の両輪」とするマクロ経済政策の枠組みも共有しました。
バブルを繰り返しつつ、その悪影響を制御して繁栄を謳歌するというシステムは限界に直面し、世界は新たな枠組を模索しています。
財政拡大と金融緩和は世界に過剰流動性を蓄積。世界の国内総生産(GDP)は約5000兆円。一方、統計上確認できる流動性は約1京(けい)5000兆円。実物の3倍です。
「資産バブル」は「負債バブル」と同義です。「負債バブル」がはじけ、「負債」を裏付けにした投資や消費が急減。経済が底割れしないよう、各国政府は財政出動による景気対策を講じ続けてきました。
景気対策の原資を国債で賄ったため、世界の政府債務は膨張。昨年、世界の金融機関が負債を2兆ドル圧縮した一方、政府債務は4兆ドル増加。このことが、その構図を如実に証明しています。
ソブリンリスク(政府債務の信用危機)の高まりは、市場が各国政府に鳴らしている警鐘です。イタリア、スペインの国債利回りは6%台に乗せ、ギリシャに次いでデフォルト懸念が囁かれ始めました。
米国債の狼狽売りが始まれば、米国はドル安、国債安、株安のトリプル安に見舞われ、世界金融危機の引き金になりかねません。週明けの市場動向次第では、9日の米連邦公開市場委員会(FOMC)で何らかの対策が決定されることでしょう。
ドル安に端を発する世界経済の動揺は、相対的に安全資産と見なされている日本円とスイスフランへの投機を助長。スイスフランは過去1年で約35%、日本円は約10%上昇しました。
両国政府は8月2日の米国のデフォルト期限までは米国議会、米国政府の動向に配慮。通貨高対策実施のタイミングを図っていました。
3日、スイス国立銀行(中央銀行)は金融緩和によるスイスフラン高対策を決定。具体的には、政策金利(3ヶ月物金利)の誘導目標を0.0~0.75%から0.0~0.25%に引き下げ。下限を0%とするゼロ金利政策は導入済みであり、今回は上限下げで金融緩和を強化。
さらに、300億スイスフラン(約3兆円)程度だった準備預金額を約2.7倍の800億スイスフランに引上げ。目標に達するまではオペレーション(公開市場操作)による資金吸収を行わず、量的緩和政策も拡充すると発表しました。
3日の金融政策決定会合は予定外であり、市場の予測をかいくぐった緊急決定。主要国中銀では、欧米財政危機に伴う通貨問題に対して初めて利下げに動きました。
国内産業界から中銀に対応を求める声が強まっていたことに対応したものであり、日本と事情は同じです。中銀は3日発表の声明で「スイスフランは非常に過大評価されており、スイスの経済成長と物価安定を脅かしている。現在の金融情勢を容認できないことから、外為市場を注視し、必要があればスイスフラン高対策の追加措置を講じる」と明言。今後の為替介入の可能性を示唆しました。
スイスに続いて動いたのは日本。4日、政府・日銀は為替介入と金融緩和の連携プレー。介入額は推定4.5兆円。1日としては過去最大規模です。日銀も資産買入額を10兆円増額し、量的緩和を強化。金融政策決定会合を前倒し、かつ短縮しての異例の決定でした。
「日銀だけがアナザーワールド(別の世界)をみているわけではない」。4日の記者会見で政府と日銀の連携を問われた白川総裁の発言です。
「『国破れて中央銀行あり』ということはない」「日銀は考え続け、行動し続けなければならない」という持論を掲げている僕としては、白川総裁の発言は適切だと思います。
デフレ脱却、過度の円高抑止、経済の安定を目指す日銀としては、「もうやれることはありません」というスタンスは国民に受け入れられません。アナザーワールドに籠もることなく、さらなる行動を期待しています。
4日、オバマ大統領は記者会見で次のように発言しました。「私はイエス、ウイキャン(やればできる)と言ったが、成し遂げるのは容易でないとも言った。経済再生の道のりが険しいとは思っていたが、これほど急坂だとは思っていなかった」。
日米欧各国政府の手腕と覚悟が問われています。
(了)