あけましておめでとうございます。OKマガジンも11年目に入りました。今年も、少しでも読者の皆様のご参考になるように努めたいと思います。ご愛読頂ければ幸甚です。どうぞよろしくお願い申し上げます。
21世紀が始まって10年が経過。世界経済の構造は著しいスピードで変化を続けています。その解釈にはふたつの見方があります。
ひとつは、欧州、米州、亜州という3極構造に基づく見方。
IMF(国際通貨基金)によると、2009年の東アジア(日本、中国、韓国、台湾、香港、シンガポール)のGDP(域内総生産、購買力平価換算)は15.8兆ドル。米州(米国、カナダ)の15.5兆ドルに匹敵し、欧州連合(EU)の14.8兆ドルを上回ります。
ASEAN(東南アジア諸国連合)10か国を加えると欧米との差はさらに広がり、インドまで加えるとアジアの経済規模は圧倒的。経済面では、21世紀は「アジアの時代」という予測が現実化してきました。
先日公表された英国大手コンサルタント会社PwC(プライスウォーターハウスクーパース)のレポートは、2019年には中国、2047年にはインドが米国のGDPを抜くと予測。
一方、アジアの中での日本の相対的地位は後退。日本のGDPはおそらく昨年中国に抜かれています。PwCレポートは、購買力平価換算のGDPでは、日本は今年インドにも抜かれると予測。「アジアの時代」とは言え、日本は悠長に構えてはいられません。
もうひとつは、先進国、新興国という2極構造に基づく見方。
PwCレポートは6年後の2017年に、新興7か国(中国、インド、ブラジル、ロシア、インドネシア、メキシコ、トルコ)のGDPが先進7か国(米国、日本、ドイツ、英国、フランス、イタリア、カナダ)を上回ると予測。
「20世紀の新興国」が「20世紀の先進国」を経済的に凌駕する大きな節目となります。
ふたつの見方はどちらも現実。その中で、日本はこれからの国家戦略を「アジアの一員」として考えるのか、「先進国の一員」として考えるのか。重要な課題ですが、20世紀後半から今日に至る過程で、日本は都合良く両者を使い分けてきたと言えます。
日本の「全盛期の20年」であった1970年代、80年代には、「先進国の一員」として、潜在意識の中で高見に立ってアジア諸国や発展途上国を見てきました。
「失われた20年」の間は、ある時は「先進国の一員」、ある時は「アジアの一員」として、国際情勢を分析。後者の場合、「アジアの一員」として、アジアの繁栄を享受できるという楽観的な見通しにつながっていました。
政界のみならず、財界、学界、官界、あらゆる分野の関係者は、こうしたご都合主義的思考からの脱却が求められます。
「先進国の一員」であれ、「アジアの一員」であれ、日本の利益を守ってくれる第三国(他国)はありません。
そうした国際社会の現実を冷徹に認識し、これからの国家戦略を練り上げ、実践してことが必要です。
振り返ってみれば、19世紀は明らかに「英国の時代」。18世紀以前のオランダ、スペインの覇権を奪取し、「パックス・ブリタニカ」の世紀を構築。
パックス(pax)はラテン語で「平和」の意味。「パックス・ブリタニカ」は英国が世界の平和の鍵を握っているという含意。1899年、桂冠(けいかん)詩人(英国王家公認詩人)作の詩のタイトルとして最初に使用されました。
一方、20世紀は明らかに「米国の時代」、「パックス・アメリカーナ」の世紀。とくに後半は、東西対立という政治構造の下、経済的には米国を中心とした「西側先進国の時代」。
その構造が2017年に節目を迎えるというのがPwCレポートの示唆。その含意を咀嚼するために、米国の歴史を少し復習してみました。
米国は1776年に独立宣言。フランスと同盟を結んで英国と戦い、1783年パリ条約によって正式に独立。合衆国憲法は1787年制定、1789年発効(大日本帝国憲法発効のちょうど100年前)。陸軍司令官ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任しました。
その後、戦争と買収によって領土を拡張。テキサス共和国併合(1845年)、米墨戦争によるメキシコ割譲(1846年)によって、領土は西海岸に到達。
この頃から遠洋捕鯨が盛んになり、太平洋に進出。1853年、日本を食料や燃料の補給拠点とするため、軍艦を派遣して開国を要求(ペリー来航)。アジア外交に注力し始めます。
しかし、1861年、奴隷制廃止に反対して独立を宣言した連合国(南軍)と合衆国(北軍)間で南北戦争が勃発。国家分裂の危機に陥りながら、北軍が勝利(1865年)。
米国がこうした状況であったことから、日本の幕末には英国、フランス、ロシアが介入。1868年、日本は明治維新を迎えました。
南北戦争後の19世紀後半、鉄道網発達とともに米国は西部開拓時代に突入。鉄鋼業や石油業の発展、エジソン等による電球、電話等の発明が相次ぎ、繁栄の基礎を構築。しかし、この時点で米国は「19世紀の新興国」にすぎません。
買収、戦争による領土拡張は続きます。ロシアからアラスカ購入(1867年)、ハワイ王国併合(1898年)、スペインとの米西戦争に勝利してグアム、フィリピン、プエルトリコ、キューバを植民地、保護国として獲得。1899年から1913年の米比戦争によってフィリピンを制し、1900年には義和団事件鎮圧の名目で清(中国)に出兵。1915年にはハイチ、1916年ドミニカ共和国を占領しました。
1914年に勃発した第一次世界大戦に対しては、当初中立を表明。しかし、1917年に連合国側(英国、フランス、イタリア、日本等)として参戦。世界の覇権争いに参入しました。
「20世紀の先進国」が「20世紀の新興国」に経済規模で逆転される2017年。その100年前の1917年は、「19世紀の新興国」であった米国が「20世紀の先進国」の中心を目指すスタートとなった節目の年。偶然ですが、非常に興味深い歴史です。
第一次大戦後、米国ウッドロウ・ウィルソン大統領はパリ講和会議(1919年)で国際連盟設立を主導。しかし、モンロー主義(孤立主義)を唱える上院の反対によって国際連盟には加盟しませんでした。
米国は他の戦勝国とともに5大国となり、1920年代はバブル経済を謳歌。しかし、1929年10月29日のニューヨーク証券取引所での株価大暴落(暗黒の木曜日)を契機に世界恐慌に突入。世界経済はブロック化が進み、第二次世界大戦へとつながっていきます。そして、その第二次世界大戦での勝利が、「パックス・アメリカーナ」を確立することとなりました。
「パックス・ブリタニカ」を築いた英国が世界の主役に躍り出たのは19世紀前半。「世界の工場」と呼ばれて「パックス・ブリタニカ」を謳歌したのは19世紀後半です。
「パックス・アメリカーナ」を築いた米国も、世界の主役として地位を確立したのは第二次世界大戦での勝利。つまり、「パックス・アメリカーナ」は20世紀後半です。
こうした歴史を振り返ると、21世紀後半に世界の主役がどこの国になっているかは予断を許しません。
2017年、経済規模で「20世紀の先進国」を上回る「20世紀の新興国」の中にその候補が含まれているかもしれません。しかし、現時点では、中国やインドが必ず覇権を握ると断言はできません。20世紀の覇者、米国も黙っていないでしょう。
この週末、大手新聞で興味深いインタビュー記事を読みました。インタビューされていたのは、ソ連崩壊や市場原理主義の限界を予見したことで著名なフランスの人類学者、エマニュエル・トッド氏。
トッド氏曰く「何かが終わることと違って、何が始まるかを言い当てるのはとても難しい」。蓋し(けだし)、名言です。
さらに、ある外国新聞の風刺漫画の話を引用。曰く「スーパーで2人が対話している。1人が『景気刺激策が必要だ』という。他方が『そう思うけれども、どの国の景気を』と返す。2人の買い物カートに入っているのはメード・イン・チャイナばかり」。
これからの日本の国家戦略を、米州、欧州、亜州の3極構造で考えるのか。その場合、日本は本当に「アジアの一員」なのか。アジア諸国は日本を「アジアの一員」と認めているのか。自問自答が必要です。
それとも、先進国、新興国という2極構造で捉えるのか。その場合、先進国は利害を共有して新興国に臨むのか。それとも、他国を出し抜いて新興国と利害を共有するのか。緊張感を持って分析しなければなりません。
あるいは、「先進国の一員」、「アジアの一員」という固定観念に囚われず、日本としての新たな境地、独自の立場を切り拓くのか。容易なことではありませんが、必要な思考実験です。
余談ですが、マスコミを通じて伝わるニュースも「20世紀の先進国」の情報に偏重している気がします。報道機関だけでなく、あらゆる分野の関係者が、歴史と日本を取り巻く環境変化を虚心坦懐に捉え、情報の取捨選択をする必要があります。
前号でお伝えしましたように、今年の干支は「辛卯(かのとう)」。含意は「新しい芽が出ようとする年」。変化に対応して新しい思考と戦略に挑戦する年、それが2011年です。僕も頑張ります。
(了)