政治経済レポート:OKマガジン(Vol.228)2010.11.26


「百年兵を養うは、一朝のためにあり」。日本海軍連合艦隊の山本五十六司令官が、実戦にはやる部下を諭した言葉です。北朝鮮砲撃事件を受けて、大手新聞の記事の中で部下が主張した方向の意味で使われていたのが気になります。


1.防衛大綱

尖閣諸島での中国漁船と海保巡視船の衝突事件、メドべーチェフ露大統領の北方領土訪問を受け、前回のメルマガでは、幕末に流行った狂歌に重ねて「太平の眠りを覚ます中国漁船、大統領で夜も眠れず」と書きましたが、今度は北朝鮮による延坪(ヨンピョン)島砲撃の暴挙。

折しも、防衛力の整備と運用の指針を定める「防衛計画の大綱」、つまり通称「防衛大綱」が来月改定されます。6年振りの改定です。

戦後65年、日米安保条約50年の今年。中国、ロシア、北朝鮮の動きは、防衛大綱改定を目前に控えた日本に警鐘を鳴らしているようです。

今回の防衛大綱策定は4回目です。1976年(昭和51年)の「51大綱」、1995年(平成7年)の「07大綱」、2004年(平成16年)の「16大綱」、そして今回は「22大綱」と呼ばれることになります。

そもそも、防衛大綱策定の動きは、自衛隊が1954年(昭和29年)に発足したのを契機に始まりました。

しかし、当時の防衛力を巡る国論は二分されていたため、防衛大綱策定には至らず、当面は防衛力整備計画で暫定対応することとなりました。

1957年(昭和32年)に決定された第1次防衛力整備計画(1次防)を皮切りに、5年ごとに1972年(昭和47年)の4次防まで策定。

折からのオイルショック、インフレによる不況と財政悪化に伴い、4次防の達成は困難となり、その後は中長期的な防衛大綱の下で単年度計画による防衛力整備を模索。その結果、1976年(昭和51年)に「51大綱」が策定されました。

その後、単年度計画では中長期的な防衛政策に支障が出るとの認識の下、1978年(昭和53年)から3年ごとの中期業務見積もりの策定が始まり、さらに1986年(昭和61年)から中期防衛力整備計画(中期防)に移行。これまでに5回策定され、最新は2005年(平成17年)の「17中期防」です。

つまり、現在の日本の防衛政策は「16大綱」と「17中期防」の下にあり、それぞれ改定を目前に控えています。

中国、ロシア、北朝鮮の動きを踏まえ、「22大綱」「23中期防」の内容に関心を高め、防衛政策のあり方についてコンセンサスを形成することが必要です。

2.南西諸島と日米同盟

今回の防衛大綱改定の焦点のひとつは、南西諸島の防衛態勢強化です。尖閣諸島は南西諸島海域に位置します。

中国は1970年代から尖閣諸島に対する領有権を主張し始めました。国際社会が大陸棚資源に着目し始めた時期と一致します。

1992年に領海法を定めて尖閣諸島を「中国領土」と明記。以後、調査船、漁船等を周辺海域に送り込み、2008年以降は海軍艦艇を航行させ、既成事実を積み上げています。

今年の春には、東シナ海などの離島管理を目的とした離島保護法を施行。以後、沖縄近海、尖閣諸島海域で、海軍による大規模演習、武装監視船の投入、巡航ミサイル搭載の空軍機の訓練などを繰り返しています。

日本の海上保安庁や自衛隊も警戒監視を行っていますが、陸自部隊の配置は沖縄本島まで。中国と日本のコンタクトエリアである南西諸島には皆無です。

そのため、日本最西端の与那国島への沿岸監視隊(100人規模)配置、沖縄海域での高速輸送艦導入、P3C哨戒機・潜水艦の増強、空自最強のF15改戦闘機配備などが検討されています。そうしたことも含め、南西諸島対策を防衛大綱に方針を明記する必要があります。

もうひとつの焦点は日米同盟強化。来年3月末までに、日本のミサイル防衛(MD)体制を司る空自航空総隊司令部が在日米軍横田司令部内に移転する予定です。防衛大綱に明示される日米連携強化に向けた方針が注目されます。

日本の防衛大綱改定に先駆け、今年2月、米国は4年ごとの国防計画見直し(QDR、Quadrennial Defense Review)を公表。「QDR2010」は、日本を含む同盟国に対して、イラク戦争、アフガニスタン戦争で疲弊している米軍の支援を求めています。

また、中国漁船と海保巡視艇の衝突事件を巡り、クリントン米国務長官が「尖閣諸島は日米安保条約の適用域内」と明言したことへの対応も求められます。

そうした中で、日本の防衛費は2002年度をピークに8年連続の削減。同じ期間に、中国、ロシアの軍事費は3倍、アフガニスタン戦争に実戦部隊を投入している米英独の軍事費も1.2~1.5倍程度に拡大しています。

防衛力強化を図るためには、他分野の予算見直しや国民の負担増加を真剣に検討せざるを得ない状況です。政治家も国民も判断が求められています。

3.武器輸出三原則

武器輸出三原則の見直しも防衛大綱改定の焦点です。

そもそも、武器輸出三原則とは1967年(昭和42年)の佐藤栄作首相の国会答弁に端を発します。

佐藤首相は「共産圏、国連決議により武器輸出が禁止された国、国際紛争の当事国及びその惧れのある国には武器輸出を認めない」と答弁。これが三原則と呼ばれるようになりました。

1976年(昭和51年)、今度は三木武夫首相がやはり国会答弁で次のように述べました。曰く「三原則対象地域には武器を輸出しない、それ以外の地域にも武器輸出を自粛する、武器製造関連設備も武器に準じて取り扱う」。さらに、武器とは直接戦闘行為に用いられるものと定義されました。

これらの内容が重層的に武器輸出三原則を構成しています。しかし、日本の同盟国の米国も明らかな紛争当事国。武器輸出三原則の対象国家に該当します。

そこで、1983年(昭和58年)、今度は中曽根内閣の後藤田正晴官房長官が「日米安保条約の観点から米国は武器輸出三原則の例外とする」との談話を発表。同年、この談話に基づいて日米間で武器技術供与の交換公文が締結されました。

時代は変遷し、今や民生用のエレクトロ二クス製品や技術の軍事転用を防ぐことは不可能。4WDやRVの日本車に機関銃を装備し、「テクニカル」と呼ばれる戦闘車両への改造も行われています。原則と実態の著しい乖離が生じています。

武器輸出三原則は各国との技術交流や共同研究開発の障害となり、日本の企業や産業の競争力にマイナスになっているという現実もあり、防衛大綱での扱いが注目されます。

防衛問題は身近に存在します。羽田空港を利用する旅客機が急旋回、急上昇して離着陸するのは、東京上空が米軍横田基地の航空管制下にあるためです。「横田空域」と呼ばれています。

1都8県上空に跨る「横田空域」を避けて飛行するため、民間航空機の燃料や時間のロス、過密航路につながっています。

南西諸島での中国との緊張、日本を射程圏内に入れている北朝鮮のミサイル、竹島領有を巡る韓国との対立、ロシアによる北方領土占拠、在日米軍基地。日本を取り巻く5か国全てと防衛問題を抱えているのが現実です。

防衛問題はもともと身近に存在しています。防衛問題を、冷静かつ客観的、日常的に考えることが必要な時代に入ったと言えます。

(了)


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