臨時国会開会は9月になりそうです。北京五輪が終わると、国内政治は緊迫ムードが高まると思いますが、内政、政局のみに囚われることなく、日本を取り巻く国際情勢も注視しなくてはなりません。
先月29日、WTO(世界貿易機関)の交渉が決裂。2001年11月からスタートしたドーハラウンドは頓挫しました。直接的原因は米国と中印両国の対立。農産物と鉱工業製品の両分野で交渉決裂です。
農産物の輸出大国である米国は、中印両国に農産物の輸入関税率引き下げを要求。一方、人口増、食料不足から農産物輸入が拡大している両国は反対。投機マネーによる農産物価格急騰で輸入代金が嵩んでいることも強硬姿勢の一因です。 インドは米国の要求に対抗。輸入急増時に関税率引き上げを認める特別セーフガード(緊急輸入制限)を輸入国の判断で発動可能とすることを逆要求。交渉は決裂しました。 農産物での合意を諦めた米国は、中印両国に対して鉱工業製品の市場開放で譲歩を要求。具体的には両国に輸入関税撤廃を求めましたが、まとまるはずもありません。怒った中国は、逆に米国の農家向け補助金問題を追及。米国もこれに応じず、交渉は決裂。 米国の基本戦略は、自国の農業保護政策を温存し、低価格の農産物を海外に輸出すること。農産物の価格高騰は米国の利益につながり、穀物価格高騰を狙ってバイオ燃料需要を意図的に生み出したという見方もあります。原油価格高騰で産油国に回ったマネーを、農産物価格高騰で取り戻すという構図です。 しかし、米国、EU、中印両国は、今や農産物、鉱工業製品とも輸出国、輸入国の両面を持っており、利害は錯綜。WTO交渉の力学も変わり、合意形成は困難になっています。 そもそも世界の貿易自由化は、WTOによる包括交渉と、FTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)による個別交渉の2つの流れがあり、ここ数年は後者が主流。FTAやEPAによる囲い込み合戦になっており、WTOによる包括交渉はポーズだけとも言えます。 米国は農産物の特別セーフガード強化を阻止、中印両国は鉱工業製品の市場開放を阻止、双方痛み分けです。 さて、日本はどのような戦略で臨んだのでしょうか。FTAで完全に遅れをとっている日本こそ、WTOの結実を必要とする立場。しかし、戦略なき日本は交渉の蚊帳の外。日本のプレゼンス低下を印象づける結果に終わりました。北京五輪の最中ですが、世界貿易機関(WTO)は言わば経済五輪。1948年にスタートした関税と貿易に関する一般協定(GATT)を前身とし、1995年に設立。
1929年の世界恐慌とその後の保護主義、ブロック化が第2次世界大戦につながったという反省に基づき、国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD)とともに、戦後世界経済の枠組み(ブレトンウッズ体制)の一翼を形成しています。 しかし、経済五輪のルール交渉は難航。ボイコットも多く、なかなか上手くいきません。ドーハラウンドが決裂した遠因はふたつあります。 ひとつは、参加国の多極化。先月の閣僚会合には、米国、EU、日本のほかに、豪州、中国、インド、ブラジルが加わり、交渉は7極化。多くの発展途上国(貿易新興国)をひとつのグループとして考えれば8極化。今回は米国と中印両国の対立が原因で交渉が決裂しました。 1975年にスタートした主要国首脳会議(サミット)は当初は7か国でしたが、その後ロシアが加わり、先月の洞爺湖サミットでは中国、インド、産油国もオブザーバーとして参加。参加国が多極化することで、実態的には何も決めることができなくなりました。 もうひとつの遠因は、多角的貿易交渉を代替する二国間・地域間の自由貿易協定(FTA、EPA)があるからです。 各国はWTOでの交渉を横目に見ながら、実際にはFTA、EPAの締結に奔走。現在成立しているFTAは151件。そのうち9割に発展途上国が関わり、同一地域以外を含む隔地間協定が4割以上を占めます。貿易自由化が進展しているように思えますが、新たなブロック化とも言えます。 因みに日本は8つFTA、EPAに署名していますが、これらがカバーする貿易額は全体の15%。EUの74%、米国の34%に比べて遅れをとっています。また、中国が東南アジアやアフリカとの交渉に注力しているほか、韓国は米韓FTAを昨年6月に署名済み。米韓FTAが発効すると多くの関税が撤廃され、日本の対米貿易にとって痛手です。 是非は別にして、FTA、EPAは世界経済の新潮流。日本は完全に乗り遅れており、対応が急務です。「歴史は繰り返す」。ギリシャ時代の偉大な歴史家、ツキュディデスが不朽の名作「歴史」の中で述べた一節です。
ツキュディデスは、政治学、歴史学の分野においては、マキアヴェリやホッブスと並んでリアリスト(現実主義者)の典型です。国際政治は冷静かつ客観的に分析することが必要であり、根拠の希薄な願望に依存すべきではないことを示唆しています。 第2次世界大戦の遠因はいろいろ指摘可能ですが、経済的な視点から考えると、1929年のニューヨーク株式市場暴落に端を発した世界恐慌を脱するために、先進諸国が経済のブロック化と資源争奪に奔走した結果と言えます。 このところの世界経済が、ブロック化と資源争奪の兆候を強めているのは気がかりです。 戦前の日本は、打開策のひとつであった植民地政策を支える軍事力が国際軍縮会議によって縮小を余儀なくされ、強硬路線への転換につながったと言われています。 翻って、今日の日本は、通商国家、経済国家として国際情勢を乗り切ることが国家としてのビジネスモデルです。 しかし、厳しい見方をすれば、そのための重要な手段のひとつであった為替(円安政策)は1985年のプラザ合意で封じられ、土地などの資産価値で経済力を高める手段(ストック政策)は1987年のBIS規制で封じられました。 さらに、生産力の優位性に依存する手段(工業立国政策)は京都議定書による地球温暖化論争に直面しています。日本国内の財務慣習、企業慣習も国際会計基準、コンプライアンスという国際交渉の高等テクニックによって囲い込まれつつあります。 日本という国家が、国際社会で生き抜いていくためのビジネスモデルを、可及的速やかに再検討、再構築する必要があり、そのために英知を結集する局面です。 他国と協調して打開策を探ることは大切なことです。しかし、政治経済においては「戦略的同盟」という魅惑的な概念、根拠の希薄な願望に安易に依存しないことも重要です。 ツキュディデスは、「同盟」とは「不幸を共有する相手」と定義しています。「戦略的同盟」は「WinWin関係」=「ともに利得を得る関係」と説く有識者と言われる人たちも少なくありませんが、「歴史は繰り返す」という一節がかくも長く語り継がれている事実を軽視するべきではないでしょう。(了)