政治経済レポート:OKマガジン(Vol.23)2002.4.26

元日銀マンの大塚耕平(Otsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです。


今、4月25日(金)の午後1時です。参議院本会議が終わって議員会館の部屋(705号室)に戻ってきました。ゴールデンウィーク前の本会議は今日が最後です。それにしても、小泉さんも、石原さん(息子の方)も全く元気がありません。読者の皆さんに直にご覧頂けないのが残念です。今日は道路公団民営化に関する法律の質疑でしたが、小泉さんは原稿棒読み。ついでに靖国関係の質問も出ましたが、この部分だけ急に元気良く顔を上げて話しますが、あとは全く自分の言葉がありません。下を向いたままです。石原さんは、元気がないとか棒読みとかいうだけでなく、「学校の先生に教科書の朗読を命じられて、イヤイヤながらボソボソ読んでいる中学生」という感じです。いったい、どうしちゃったのでしょうか。おっと、こんなイントロを打っていると、また長くなってしまいますので、本題に入らせて頂きます。

1.「たるんでる」発言の構造的問題

みずほグループのシステム障害、本当に大変なことです。一度失った信用を取り戻すのは容易なことではありません。僕も、16日と18日の2回に亘って財政金融委員会でこの問題を取り上げましたが、経営陣も関係当局も、当事者意識が希薄というより、システムに関する知識も経験もないために、トラブルの重大さや本質が理解できていないという印象でした。

ところで、障害が発生した後に、この件に関して記者から質問を受けた小泉首相が、「たるんでる」と発言したことはご存じですか。TVでご覧になった方も多いと思います。この「たるんでる」発言について、財政金融委員会で塩川さんに対して、「小泉首相の勘違いは甚だしい。問題発言だ。首相を戒めてください」とお願いしておきました。このことをちょっと説明させて頂きます。

みずほグループの経営陣がたるんでいることはそのとおりです。しかし、一国の総理大臣がこういう短絡的な発言をすることには、次のような重大な構造的問題があります。

まず、現場で苦労している人たち(国民)の気持ちが分かっていないということです。システム開発や障害対応の現場では、経営陣が合併統合を急ぎ、事前テストを省き、障害の初期対応を間違えたために、おそらく相当の負担がかかっていると思います。過労死が出てもおかしくないような状況でしょう。

小泉さんは、自分が船長であることが分かっていません。日本経済は大きな船のようなものです。金融システム(決済インフラ)は、船の機関室、つまり動力部分です。機関室で大変なトラブルが発生し、エンジンルームの中で多くの船員が必死に働いているのに、船長はデッキの上で高見の見物、実態も理解できていないくせに、十把一絡げに「たるんでる!!」と吐き捨てるように言い放っているというのが今回の光景です。

なぜ、機関室にトラブルが発生したのでしょうか。それは、機関室の大改造(みずほグループの合併統合)を急がせたからです。また、このような大改造をするのに、船長が現場任せにしていたからです。デッキの中には、機関室担当の柳沢副船長もいます。柳沢副船長は正しく情報を把握し、小泉船長に報告していたのでしょうか。機関室長は前田さん(みずほホールディングス社長)です。小泉さんは、前田機関室長が、現場をしっかりと指揮し、大改造を問題なく成功させる状況にあったのか否かを、事前にチェックしたのでしょうか。デッキの上で、自分の関心のあることばかりに没頭し、船全体の状況をフォローする努力を怠っていたのではないでしょうか。

こういう船長の下で、トラブルが発生したのです。機関室で火事が発生しました。船長は、「たるんでる!!」と吐き捨てるばかりです。僕は、みすほグループを擁護しているのではありません。船長として、一国の総理大臣として、「もう少しほかの言い方や行動の仕方があるだろう」ということを言いたいのです。

「たいへん遺憾だ。国民の皆さんに多大な迷惑をかけて申し訳ない。現場の皆さんは大変だと思うが、一刻も早く障害を復旧し、職責を果たしてほしい。まずは復旧に専念し、然るべき後に、現場の責任者、監督責任者、そして自分自身の責任についても明らかにし、二度とこういうことのないようにしたい」

これが、船長として、一国の総理大臣として、述べるべき発言ではないでしょうか。「たるんでる」発言的発想では、現場の志気は下がり、船から逃げ出す船員も少なくないことでしょう。

「たるんでる」発言は、小泉首相の構造的問題を象徴しています。全て他人事なのです。当事者意識がありません。青木建設が破綻した際の「構造改革が進んでいる証拠」発言も同じ精神構造です。自分は船長であり、その船は多くの名もない船員によって動かされていることを理解していないのです。なぜなら、小泉船長が船長(政治家)として育った時代は、船(日本経済)が自然に動いていた(成長していた)時代です。機関室の構造も、操舵術も、船員の志気高揚のための人心掌握術も知らないのかもしれません。

「いよいよ自分が船長になったのに、船がトラブルを起こすとはケシカラン。たるんでる!!早く直せ。俺には責任はない!!」これが小泉船長の精神構造です。小泉さん、構造改革が必要なのは、あなたの頭の中ではないですか?

2.みずほグループのシステム障害の原因(1)

とは言え、大問題が起こったことには変わりありません。この問題の背景は何でしょうか。新聞やTVは、3行(興銀、富士、一勧)の縄張り争いの結果という論調です。それもたしかに影響していると思いますが、それだけでしょうか。

財政金融委員会では、以下の2点を指摘しました。

第1は、日本の金融再編の目的が間違った方向に行ってしまっていることです。金融情報システム白書(平成14年度版)によれば、シティグループの資産規模は9000億ドル、従業員24万人、IT投資額は52億ドルです。日本の2つのグループ(三井住友、東京三菱)は、資産規模はシティグループとほぼ同額、従業員数は約10分の1です。従業員の生産性が同じだと仮定し、従業員数の差をITインフラで補うとすれば、三井住友、東京三菱グループのIT投資額はシティグループより相当多くないと整合的ではありません。しかし、実際には14〜17億ドルと、絶対額でシティグループの3分の1から4分の1です。

みずほグループは、資産規模1兆3600億ドル、従業員数3万2千人、IT投資額は14億ドルです。資産規模比、従業員数比、IT投資額の絶対額比で比例按分すると、みずほグループのIT投資額は、実質的には、シティグループのなんと37分の1ということになります。

90年代の半ばに、日本の金融再編が語られ始めた頃は、「日本の金融機関は欧米に比べてIT投資が遅れている」と言われていました。したがって、IT投資額を増やし、IT投資の効率を上げるために、メインフレーム(ホストコンピューター)のメーカーが一緒の金融機関同士の合併が取り沙汰されたのです。雑誌や新聞には、「金融再編を予測するにはコンピューターのメーカーを調べろ」という記事がけっこう掲載されていました。

しかし、現在の状況はどうでしょうか。IT投資の規模は相変わらず大きく見劣りするうえ、みずほグループのように、メーカーを揃えるどころか、合併統合してもシステムはパッチワークで繋いだままという状態です。しかも、前田社長は国会答弁の中で「合併しないとシステム経費の削減もできません」という趣旨の発言をしています。

前田社長の発言からも明らかなように、日本の金融再編は、90年代半ばと現在では、その意味が変わってしまいました。とくにIT投資に関して言えば、(1)統廃合によるその他経費の圧縮に伴うIT投資規模の拡大、(2)統廃合によるスケールメリット享受に伴うIT投資規模の縮小という、全く逆方向の動きです。つまり、本来(1)を目指すべきところが、(2)になってしまいました。

金融再編の変質の原因は、言うまでもなく不良債権問題です。不良債権の処理原資を捻出するために、IT投資額までも削減せざるを得なくなったと思われます。このことが、2点目の指摘に関係しています。

3.みずほグループのシステム障害の原因(2)

みずほグループは、当初は単一のシステムに統合するはずだったと聞いていますが、途中から3行のシステムのパッチワークとする方針に変わりました。そのこと自体は、3行の縄張り争いが影響しています。

しかし、問題は、方針が変わったのに、なぜスケジュールを変えなかったのかということです。途中で方針変更したので、ただでさえスケジュール的には厳しい状況です。そのうえ、3つのシステムのパッチワークということであれば、プロジェクト的にもより慎重を期す必要があります。もっと時間をかけて、テストや調整を十分に行うべきでした。

なぜ、そうしなかったのでしょうか。

それは、スケジュールどおりに合併統合を進めないと、合併利益の捻出、不良債権処理の進展、市場の評価向上というシナリオが崩れ、3行のうちのいずれかが経営危機に陥る可能性があったということではないでしょうか。

そのように考えると、「今回のシステム障害に伴うコスト(みずほグループ自身のコスト+取引先のコストや社会的コスト)」は、このタイミングで合併統合を強行しなければ発生したかもしれない「ペイオフコスト」が、かたちを変えて顕現化したと言えると思います。

金融引締とか金融緩和というのは、いわゆるマクロ経済政策としての「金融政策」です。今回の障害ではっきりしたことは、今の政府は、日本の金融産業や金融機関をどのような方向に誘導すべきかという「金融産業政策」が間違っているのではないかということです。「金融政策」だけでなく、「金融産業政策」についても、今後の国会で議論していきたいと思います。

4.本来の「アコード」と竹中さんの「アコード」

ホンダの車のことではありません。「アコード」とは「合意」という意味ですが、これは、1951年3月に米国財務省と米国FRB(中央銀行)の間で成立したある「合意」のことを指します。経済政策の関係者や経済学者の間で「アコード」と言えば、このことを指すことは当然の認識です。「アコード」とは「固有名詞」なのです。ちょうど、「ミスター」と言えば「長島茂雄」を指すということと、同じような関係です。

では、どのような「合意」だったのでしょうか。

それは、財政当局が発行する大量の国債の価格維持(低金利維持)のために、金融政策を利用しないということです。国債発行のために、低金利政策は行わないという意味です。つまり、国の財政規律を守るために、中央銀行は安易な金融緩和は行わないことを「合意」しました。先進国の「知恵」と言えます。

さて、わが国が誇る竹中経済財政担当大臣殿も、最近、「アコード」を時々口にされます。さすが、学者出身の大臣ですね。「財政当局と金融当局、政府と日銀は、米国のようなアコードが必要だ。一致協力していくべきだ」というような趣旨で発言しています。

あれ?・・・もうお気づきの読者も多いと思いますが、本来の「アコード」と竹中さんの「アコード」は意味が全く逆です。

今、日本では、国債が大量発行され、いつかは暴落するかもしれないということが懸念されています。超金融緩和政策によって日銀が供給しているマネーは、銀行や郵便局を経由してほとんど国債に回っています。だから、いくら金融緩和しても企業の資金繰りは楽になりません。金融緩和は国債発行のために行われているような構造ができあがってしまいました。

竹中さんが言う「アコード」は、今後も、政府・財政当局の国債発行のために、日銀・金融当局は、頑張って超金融緩和を続けなさいという意味です。

僕は、竹中さんの主張の適否についてとやかく言う気はありません。しかし、「固有名詞」である「アコード」を違う意味で使うのは止めて頂きたいと思います。星野監督に「ミスター」と呼び掛けるようなものです。星野監督が怒りますよ!!

先日、米国の学者からメールがきました。「竹中大臣は経済学者ではないのか。アコードの意味を知らないなら知識がなさ過ぎる。意味を知っていて逆の使い方をしているのなら見識がなさ過ぎる。いずれにしても日本のアカデミズムの名誉にかかわる発言だ」という内容でした。「知識」「見識」いずれが欠けても、看板に傷がつきますよ、竹中さん。

18日の財政金融委員会で、岩田一政政策統括官に予告なしにこのことを質問させて頂きました。岩田さんは、「本来の意味と竹中さんの使っている意味は違います」とハッキリ答えてくれました。さすが岩田さん、学者の鏡です。岩田さん、偉い!!

(了)


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