政治経済レポート:OKマガジン(Vol.16)2002.1.6

元日銀マンの大塚耕平(Otsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです。


皆さん、明けましておめでとうございます。昨年はいろいろとお世話になりました。心より御礼申し上げます。OKマガジン、今年も頑張ります。少々固いメルマガですが、読者の皆さんがご自身の考え方を整理するうえで、少しでも参考になるような情報提供ができれば幸いです。今年もどうぞよろしくお願い致します。

1.日本経済の「3つの問題点」

これまでのメルマガで、日本経済の問題点を様々な角度から分析してきました。自分なりの考え方として、現時点では、日本経済の問題点は次の3つであるという結論に達しました。

  1. 対外競争力の低下
  2. 公的部門の肥大化
  3. 金融の機能不全

現象面として、製造業の空洞化、デフレの進行、銀行の貸し渋り等々の動きが観察できますが、そうした個別の現象は、いずれも上記の「3つの問題点」に起因するものです。それ自身が日本経済の根源的な問題点ではないことに注意する必要があります。
例えば、「製造業が中国にやられる」という不安感は、「だから中国に対するセーフガードを発動する」という対応では根本的解決にはならないのです。セーフガードでは対外競争力を強化することにはなりません。言わば、対症療法に過ぎず、病気の原因そのものを治癒することではないのです。「デフレは問題だ。インフレにしろ」という意見も、「血圧が下がっているから薬で血圧を上げる」という対応に過ぎず、血圧低下の原因そのものの解決にはならないのです。そもそも、血圧低下の原因が特定できていないのではないでしょうか。こうした冷静な目で、日本経済が直面している様々な症状が、各々「3つの問題点」とどのように関連しているのかを分析していくことが大切です。このことが、日本経済再生に向けた第一歩です。以下では、「3つの問題点」に関連する話題を取り上げます。

2.「セル生産方式」による企業再生

はじめに、「対外競争力の低下」を解決するにはどうしたらいいのでしょうか。企業のコストは、物のコスト、人のコスト、資金のコストの3つに分解できます。コスト面から対外競争力を強化するには、「コストを下げる」ことしかありません。しかし、コストが高くなった背景を慎重に眺めてみると、少し違った角度の対応策が見えてきます。

日本の製造業は、70年代以降、自動化、効率化を進め、世界経済を席巻したかに見えました。自動化は組立や搬送のロボットを普及させ、効率化は工場の分業体制を進めました。しかし、その結果、製品の規格変更や新製品に対応するには、自動化ラインの変更投資や分業化された製造ラインの再編が必要となりました。

「そんなこと、当り前じゃないか」と思われる方も多いと思います。しかし、半導体メーカーや電機メーカーの多くが苦しんでいるのは、製品寿命が短くなり、ラインの変更・再編投資が過大になっている点にあるような気がします。つまり、コスト軽減のために推し進めた自動化、効率化が、経済環境の変化により、かえってコスト増嵩の要因になっているのかもしれないのです。また、分業体制は一見効率的に見えますが、製造工程が複数化することにより、半製品や部品の仕掛品在庫が増大し、完成品在庫の統計からは分からない在庫負担を発生させているのではないでしょうか。さらに、個々の社員は製造工程の一部しかできないことから、社員一人ひとりの生産性(あるいは、完成品を作る力)は著しく低下しているのかもしれません。

自動化、効率化のアンチテーゼ(ちょっと古いですか・・)として、「セル生産方式」という考え方が参考になります。「セル」は「細胞」という意味です。つまり、少人数の生産チームで完成品を作り上げる体制です。製品寿命の短期化にも対応し、仕掛品在庫も圧縮できると言われています。日本人の職人気質の復活路線と言えるかもしれません。中国は人海戦術による効率化、分業による大量生産体制をどんどん強化しています。戦術転換が日本経済の対外競争力強化の隘路かもしれません。

このことは製造業に限りません。サービス業や小売業を含めたあらゆる分野の企業が、これまでの常識を虚心坦懐に考え直してみることが必要です。

3.公共部門の「浪費財」

公的部門の肥大化に関しては、多くの皆さんが基本的には「そうだ、そうだ」とお考えでしょう。しかし、「役所はケシカラン」と感情的にならないでください。今こそ、冷静に考えることが必要です。

経済は民間部門と公共部門から構成されます。公共部門は、民間部門では供給できないけれども、民間部門の皆さんが必要とするものを提供するのが仕事です。典型的な例が道路や橋です。誰も自発的に作ろうとしないけれども、いざ誰かが作ると皆が使いたがる「財」です。経済学ではこうした財のことを「公共財」と言います。

問題は、「必要でない公共財」を作ることにあります。しかし、ここに論理矛盾があります。「公共財」とは、上述のように「皆が使いたがる、皆が必要とする財」のことです。つまり、「必要でない公共財」とは「公共財」ではないのです。「私的財」でも「公共財」でもなく、いったい何でしょうか。

公的部門の仕事の原資は、言うまでもなく皆さんの税金です。民間部門の設備投資や個人消費に使えたはずの資金を税金として吸い上げて「必要でない公共財」を作ることは、結局、民間部門の資金を浪費することになります。経済にとってマイナス効果を及ぼします。このことを「クラウディングアウト」と言います。「必要でない公共財」とは、「浪費財」「マイナス財」「クラウディングアウト財」などと呼ぶことが適当でしょう。語感的には「浪費財」と言うのがピッタリかもしれません。

「浪費財」構築に貢献するのは、役所ばかりではありません。「浪費財」構築を受注する人達も一役買っています。逆に、役所の中にも、民間部門の活性化のために日夜腐心して、一生懸命の人達もいます。十把一絡げにして、大雑把な議論をすると本質を見誤ります。「浪費財」を見極め、「浪費財」のために皆さんの血税を無駄遣いしている人達を冷静に見極めることが必要です。

4.年度末の「椅子取りゲーム

金融の機能不全は、残念ながら一段とエスカレートしています。金融庁の特別検査の動きを受けて、金融機関は貸出に一層慎重になっています。今後、年度決算時に、金融庁の指導によって貸倒引当や直接償却を増加せざるを得なくなる可能性があります。このため、自己資本比率規制をクリアするために、今から資産を圧縮しておこうということです。こうした動きが、貸出スタンスの一層の慎重化に繋がっています。多くの企業や銀行の皆さんに直接お話を伺った結果、昨年11月以降に急速にそうした傾向が強まっていることは明らかです。

こうした動きは、企業の皆さんの年度末越えの資金繰りに大いに影響を与えるでしょう。要注意です。

もともと、年度末(年末)越えの資金繰りは、「椅子取りゲーム」に似たところがあります。金融機能が健全だった頃は、10人で10数個の椅子を巡るゲームでした。椅子の数(=年度末越えの銀行融資)は十分に足りていますが、ゲームも終盤になってまだ椅子に座れていない人(=資金繰りの目処が立っていない企業)は、年度末が近づくと少々焦ってしまいます。タイムアップ(=年度末)直前に漸く椅子に座る(=資金調達をする)ことができ、ホッと一息というのがよく見る光景でした。

ここ数年は、年々、「椅子取りゲーム」の椅子の数が減ってきました。10人で10個の「椅子取りゲーム」となれば、最後まで座れない人(=企業)は必死です。数が足りていることは分かっていても、タイムアップ(=年度末)時に実際に座っていなければ意味がありません(=不渡りを出してしまいます)。

しかし、今年の年度末はもっと状況が厳しいようです。金融機関が貸出スタンスを一層慎重化させたために、10人で7個か8個の椅子を巡るゲームになりそうです。黒字企業の資金繰り倒産という事態も、十分に予想されます。

もちろん、私自身、そうした事態を招かないように、国会での論戦を通じて、あるいは金融庁への指摘によってできる限りの努力をします。しかし、企業の皆さんも自己防衛を怠りなく行ってください。例年の年度末のつもりで資金繰りを行うと、思わぬ事態に遭遇するかもしれません。例年より早めの資金調達、例年より少なめの要調達額とすることが肝心です。


余談.今日の新聞を見ての独り言

今日(6日)の日経新聞朝刊の1面トップ記事は、「金融庁方針、公的資金注入は都銀・有力地銀に限定」という見出しでした。都銀・有力地銀以外は、破綻防止のための公的資金注入は行わないという趣旨です。

公的資金注入の是非は別として、こんな方針を公表したら、中小地銀や信金・信組からはますます預金が流出します。金融庁は、ペイオフを睨んで相当大規模な預金シフトが起きていることをどの程度理解しているのでしょうか。少々疑問です。

そもそも、こういう方針がなぜ新聞に出るのでしょうか。田中外務大臣が米国国務省の移動情報を漏らしたことに匹敵するような情報管理の甘さです。

さらに言えば、公的資金注入の判断が、相当大幅に金融庁の裁量に委ねられるという内容の記事でしたが、そもそも、破綻法制や金融危機管理の仕組みは、過度な裁量行政を回避するために設けたものではなかったのでしょうか。一体、どうなっているのでしょうか。

今月中旬から始まる通常国会で、しっかりと議論させて頂きます。

(了)


戻る