政治経済レポート:OKマガジン(Vol.518)2023.9.5

来年(2024年)春、新1万円札の顔として渋沢栄一(1840~1931年)が登場します。没後93年。この局面での渋沢翁の登場を、一昨年大河ドラマ(青天を衝け)を受けた偶然と捉えるのか、難局に直面する日本経済、日本企業への啓示と捉えるのか、熟考に値します。渋沢翁等の先達に触発され、近代化が進み、多くの経済人が誕生し、様々な経緯があって日本型経営が確立しました。今回と次回は、日本型経営について改めて考えてみます。


1.日本型経営

敗戦による国土荒廃から戦後復興し、高度成長を遂げた日本経済の成功要因について、1972年OECD報告書は「終身雇用」「年功賃金」「企業別労働組合」の3つを指摘。天皇制に絡めて「三種の神器」と記し、「日本型経営」を称賛したことを知らない世代も増えました。

一方、日本型経営の成功体験を引き摺っている高年世代や財界人も少なくありません。内外環境の激変に直面し、「失われた30年」という残念な事実を共有し始めた今こそ、日本型経営のファクト(事実)と深層を整理しておく必要があります。

終身雇用は定年まで勤務する男性中心の雇用制度を定着させました。終身雇用の下では年齢及び経験とともに賃金が上がる年功賃金が採用され、賃上げ交渉は企業別労働組合が担うこととなりました。

この日本的経営には3つの長所があると言われました。第1は人材育成。終身雇用の下では長期的視点で人材育成を行えるという認識です。この点は、新卒一括採用と言う雇用慣行にもつながりました。

第2は社員の忠誠心。終身雇用と年功賃金は社員に長期的な安心感を与え、企業に対する忠誠心を高めました。

第3は経営の安定。企業別労働組合の下では社員と企業は運命共同体。組合側は企業の経営状況を共有しており、ストライキ等も発生しにくく、賃金や労働条件の交渉は現実的着地点に収斂する傾向がありました。

とくに全社員が単一の労働組合に加入するユニオンショップ制の企業の場合、上記の長所が顕著に現れます。

こうした労使関係下の賃金水準は、労働対価としての性質よりも生活保障的な性質が強い傾向があります。

そのため、昇進・昇給は勤続年数や将来性(周囲からの評判等に基づく)が反映され、人事考課でも人柄を含む総合的評価が行われます。

換言すると、実際の「職務」「貢献度」とは関係ない「職能(潜在的な職務遂行能力)」「将来性」重視の賃金体系です。

日本型経営には「三種の神器」以外にも、メインバンク制、株式持合い等の日本独自のビジネス慣行も寄与しました。安定的な資金調達と資本構造のおかげで、企業経営者は株主等から短期的成果を求められにくく、長期的展望に立って経営ができると言われました。

しかし、何事も長所と短所は紙一重。日本経済が停滞し始めると、長所と表裏一体の日本型経営の短所が指摘され始めました。

第1は人材育成の限界。日本型経営では自社の業務に適応した同質性の高いジェネラリスト的人材を育てるには有用でしたが、変化が激しいビジネス環境下におけるスピード感と対応力を備えた人材育成には不向きです。

技術革新やビジネス環境の激変、DXや社内に知見の少ない新分野への事業転換等に対応できるスペシャリストや人材は、OJT等の社内教育システムでは育ちにくい面があります。

第2は労働非対価性。年功賃金は若年層の賃金を抑制する一方、加齢とともに加給し、生涯を通した賃金と貢献度をバランスさせる構造です。企業に対する忠誠心を高めるものの、加齢とともにスキルや業績が上がる社員ばかりではありません。結果的に、労働対価性は低く、若年層の非納得感、高年層の賃金見合いの生産性低下を余儀なくします。

第3は過重労働。社員は自己の評価が具体的な職務や技術等の専門性によって保証されているものではなく、周囲や上司からの好感度等によることを理解しているため、何事にも献身的・自発的に対応する傾向を生み出し、付き合い残業、サービス残業、無理な業務命令をも甘受する風潮につながります。

第4に組織の硬直化。これは第1の短所とも関係ありますが、同質的で同調的な社員が多い組織は、新しい考えが生まれにくく、事業が固定化する傾向があります。しかも、ジェネラリスト中心で、スペシャリストを適正に処遇しなければその傾向は助長されます。企業にとっては競争力低下に直結する組織の硬直化、非効率化です。

日本型雇用では、職務を限定した雇い方をしないため、高い専門性を身に着けた博士号取得者等の人材を有効活用できない傾向があります。日本型経営は専門性と相性が悪いと言えます。

第5は人材流動性の低さ。これは雇用の安定性という長所の裏返しです。新たな人材を採用し、社員構成の新陳代謝を高められなければ、企業は環境変化や新事業に対応できません。日本型経営には、そういう短所につながる人材流動性の低さがあります。

こうした日本型経営の短所は、日本の産業や経済全体の競争力低下、硬直化にも直結します。

2.ジョブ型とメンバーシップ型

日本型経営において、会社は社員を簡単には解雇しません。勤続年数に応じて処遇しなければなりません。社員も忠誠心を高め、転勤・単身赴任・出向等にも従順に応じました。

日本型経営の特徴は長期雇用であり、欧米では解雇が比較的容易であることと対照的です。一方、欧米では転職や再就職も相対的に容易。欧米では企業内固有の基準ではなく、企業間共通の基準で評価される傾向があるからです。

転職希望者の評価において、欧米では過去に勤務した企業の勤続年数ではなく、同じ職務、職種での実務経験年数や専門性が問われます。評価基準が企業間で共有されています。

専門性を評価する基準のひとつが資格(博士号等)。したがって、欧米では資格を取るために一時的に離職して大学院に進学する人もいます。日本では企業内でそうした評価が行われないため、近年、大学院進学率や博士号取得者が減少しています。努力しても割に合わないということです。

折しも、今日(5日)の日経新聞(5面)に「博士課程入学者20年間で2割減」「企業の待遇不十分」との見出しで記事が掲載されています。

上記の事象は、日本型経営が社員に専門性よりも柔軟性を求める傾向が強い証左です。終身雇用、年功賃金は社員の会社への帰属意識と忠誠心を高め、転勤・単身赴任・出向も厭わず、柔軟な配置転換を可能としました。

この特徴は企業や経済が好調な時代は日本型経営の成功の秘訣と称賛されましたが、「失われた30年」を経て、社員の許容度も社会の価値観も変わり、自律的なキャリア形成志向、共働き世帯増加等によって、企業側の都合による配置転換の柔軟性は低下しています。

日本人は働き過ぎでワークライフバランスが崩れているという現象も、日本型経営の長所と表裏一体の短所の故です。

会社への帰属意識、忠誠心の高さ、相対評価、周囲の評判や上司の心象が影響する人事考課システムは、同質性、同調性、サービス残業・付き合い残業等を助長します。

欧米の労働者が働かないということではありません。欧米の場合、職務の階層によって状況が異なります。意思決定やマネジメントに参画する職務(経営層・管理職)と、指示された内容をこなす職務(一般社員)という階層の違いです。

欧米でも前者は日本以上にハードワークの傾向があります。一方、後者のワークライフバランスは守られています。裁量権がある職務は待遇も良い代わりにハードワークであり、指示された仕事をこなす裁量権のない職務はワークライフバランスが確保されています。

欧米では、日本のように「長く勤めているだけで昇進する」ことはありません。終身雇用、年功賃金の日本では、それがあるから後者の層も一生懸命働きます。そのため、現場レベルのモラルの高さと業務改善努力が日本型経営の強みにもなりました。管理職の専門性が乏しい一方、現場が優秀というのが日本型経営の特徴です。

欧米はワークライフバランスが充実しているから良いという単純な話ではありません。また、過剰労働が発生しやすい日本を称賛するわけにもいきません。一長一短です。

「一億総中流」時代の実現は日本型経営のおかげだったのでしょうか。実は日本型経営が適用されている労働者はそれほど多くありません。政府の就業構造調査から試算すると終身雇用や年功賃金を享受している人は全労働者の約3割です。しかも統計で把握可能な1980年代以降、その割合はほとんど変わっていません。

日本の雇用の90%は中小企業や自営業者によって守られてきました。中小企業や自営業者の多くでは、社員の転職や非正規雇用も多いほか、終身雇用や年功賃金も実現できていません。ここに格差が存在します。

欧米にも格差はあります。それは、資格(学位等)や職務ごとの格差です。処遇が不満であれば企業の移動を考え、その際は同じ職務であれば同一労働同一賃金です。企業を超えた職務の評価基準があるから、それが可能となります。

日本型経営では労働者の企業移動(転職)は相対的に困難です。そのため同じ職務に従事していても、新卒時に就職した企業の良否や規模で格差が生じます。

その後に学位を取得したり、職歴を積んでも、その格差は改善しません。どこの国でも格差はありますが、日本の格差は個人の努力では是正できない傾向が強いと言えます。

欧米では同一労働同一賃金が重視され、同じ技能と同じ経歴を持つ人材であれば、人種や性別等の要素と関係なく、同じ待遇を与えるのが普通です。逆に言えば、職務が違えば待遇が異なるということです。そのため、職務や学歴よる格差が相対的に大きくなります。

「三種の神器」の下の日本型経営では、「同じ会社の社員なら同じ待遇」ということが重視されました。同期社員は同じような扱いを受け、勤続年数によって全員がある程度は昇進していきます。しかし、日本の場合は「正社員」と「それ以外」で格差が生じます。

「同じ仕事をしているなら平等」という欧米的(職業別労働組合的)な社会と、「同じ会社の社員なら平等」という日本的(企業別労働組合的)な社会の違いです。「格差の格差」とも言えます。

換言すれば、欧米は職務を基準に労働条件が決まる「ジョブ型」、日本は所属企業を基準に労働条件が決まる「メンバーシップ型」です。

3.武藤山治

日本型経営が生まれた背景として、日本人や日本社会の思想や生活に古くから馴染んでいる儒教の影響も指摘されます。年長者が自分より上位に就くことを当然とする感覚です。また、江戸時代以前の商家や武家における慣行に端を発するとの説もあります。

明治維新後、1887年工場法制定時には労働者の雇用の継続性が論点のひとつでした。1918年の統計では、工場労働者の76.6%は勤続3年未満、10年以上は僅か3.7%。この状況を改善することが近代化の課題のひとつでした。

そのため、1920年代に終身雇用と定期昇給が広がり、昭和初期には職階や給料の年功序列化が進み、熟練工の定着化を図ったことで日本型経営の原型が形成されます。

この時期に大きな影響を与えた3人の経営者がいます。ひとりは武藤山治(1867~1934年)。岐阜県の豪農出身の武藤は、渡米経験等の紆余曲折を経て1894年に鐘紡に入社。

当時、紡績工場の労働環境は「女工哀史」という言葉に象徴される劣悪な状況でしたが、武藤は「職工優遇こそ最善の投資なり」として「家族主義」と「温情主義」を実践。

武藤の経営手法は他企業の手本となり、日本型経営の基礎を形成。ドイツ鉄鋼財閥クルップ社も武藤の経営手法を模倣したほどです。余談ですが、武藤は1904年に設けた綿布試験場に豊田佐吉を受け入れ、自動織機発明を支援したそうです。

もうひとつ余談ですが、武藤は1930年鐘紡社長を辞任して政界進出。1932年政界引退後はジャーナリストに転じ、政財界の癒着を暴露。帝人事件の疑惑報道直後の1934年、自宅前で銃撃暗殺され、犯人も自殺(他殺説もあります)。凄い人です。

2人目は松下電器創業者の松下幸之助(1894~1989年)。1929年世界恐慌時に工場稼働率が低下した際も従業員全員の雇用を維持。このことが日本特有の終身雇用の原点と言われています。松下電器は社員と世論から大きな信頼を得て、急成長を遂げます。

3人目は出光佐三(1885~1981年)。出光興産の創業者です。「士魂商才」を掲げて「商売は金儲けではない」とし、終戦直後に従業員約1千人を一切解雇しないことを宣言。経営の原点は「人間尊重」であるとして、日本型経営に大きな影響を与えました。

戦時経済の「総動員体制」も日本型経営に関係しています。1939年公布の賃金統制令による賃金規則が、戦後の役所・大企業の年功序列制度確立を助長したという見方もあります。

終戦後、財閥解体、労働組合結成推奨による経済民主化政策とともに、企業別労働組合による労使一体経営が定着。冷戦下における共産主義拡大抑止の観点から、GHQ・政府・企業は職業別労働組合を警戒。労組結成推奨は「日本の経済力復活抑止」、企業別労働組合推奨は「共産主義拡大抑止」を目的としたGHQの複雑なツイスト政策と解釈できます。

日本型経営を補強する労働関連法制の整備も進む中、朝鮮特需、戦後復興を経て、日本は高度成長期入り。日本型経営を構成する終身雇用、年功賃金、企業別労働組合は優れた雇用システムとして内外に知られるようになりました。

1958年、ジェームズ・アベグレンが著書「日本の経営」を発表。アベグレンは日本の工場を現地調査し、「三種の神器」が日本的経営の特徴として指摘しました。

アベグレンの指摘はその後の日本の高度成長が裏付けとなって欧米に浸透。1972年のOECD報告書にも「三種の神器」の話が明記されるに至ります。

1979年、エズラ・ヴォーゲル著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」によって日本型経営がさらに内外から注目されましたが、「好事魔多し」。その後の日本自身の勘違いとバブル崩壊後の「失われた30年」の種を埋め込むことにもなりました。

しかも、1980年代の日本経済の動向が勘違いを助長します。1985年からの5年間の平均経済成長率は5%、1990年には日本のGDPは世界の約15%を占め、米国の26%に迫り、3位ドイツの7%台を引き離しました。

1人当たりGDPは英独仏を大きく引き離し、1993年には米国を抜いてOECD加盟国1位(3万4906ドル)を記録。円高を背景にニューヨークやロンドンの高層ビルやホテル等を買いまくり、「ジャパンマネー」は世界を席巻。日本の各界指導層では「もはや欧米から学ぶものはなくなった」という驕り発言が飛び交いました。

振り返れば、この時期に並行してバブル経済の発生と崩壊が起きていました。しかも、1990年代には技術革新と天安門事件(1989年)後の中国の自由経済市場参入、経済グローバル化という地殻変動が進行。日本はそれに対する認識と対応を誤ったと言えます。

上述のとおり、何事も長所と欠点は表裏一体。その後、日本型経営の短所が「失われた30年」の背景要因となっていきます。今回のメルマガは次回に続きます。

(了)

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