政治経済レポート:OKマガジン(Vol.509)2023.4.21

岸田首相が襲われた事件には驚きました。安倍元首相狙撃事件から1年も経っていません。警備陣が「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということだったわけではないと思いますが、模倣犯が続かないことを祈ります。


1.危機の本質

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」。米国シリコンバレー銀行(SVB)やスイス大手銀行クレディスイス(CS)の破綻はそんな感じです。行き過ぎた金融緩和、リスク軽視投資は必ず似たような顛末に直面します。

加えて「旨い話には裏がある」「旨い話には気をつけろ」ということについても「喉元過ぎれば熱さ忘れる」。2007年サブプライム危機、2008年リーマンショックの際はサブプライムローンやCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)が「旨い話」でしたが、今回はAT1債です。

AT1債の話に入る前に、今回の欧米金融危機の背景を整理します。SVB破綻、CS経営不安等々、3月は欧米で複数の金融機関が経営難に陥りました。

今回の金融危機は、当該銀行それぞれに特殊事情がありました。本来は個別銀行の問題として収束しても不思議ではありませんでしたが、動揺は金融市場全体に広がりました。

SVBとCSはCET1比率(自己資本比率規制上の指標)は13%から14%程度あり、一般的には経営に問題があるとは誰も思っていませんでした。CET1比率についても後で解説します。

健全行の経営が突然行き詰まる状況を見て、市場関係者、預金者、投資家は「他にも同様の金融機関があるのではないか」と疑心暗鬼になりました。それだけの心理的インパクトがありました。

もちろん、両行の経営難の背景にはFRB(米連邦準備制度理事会)やECB(欧州中央銀行)の利上げが影響しています。両行とも、金利上昇に伴って価格が下がる長期有価証券の保有割合の多さが原因のひとつです。

ただ、利上げそのものが直接の原因ではありません。市場金利が上がる中、昨年後半から預金流出が始まっていたのです。

預金者はより利回りのよい金融商品への預け替えを模索するととともに、低金利のうちに住宅投資に踏み切るなど、預金流出の地合いが形成されていました。そのため、金融機関では預金金利引上げ議論も活発化していました。

さらにはコロナ禍対策としての膨大な政府支出が還流し、バランスシートが膨張していたことも間接的に影響しています。その結果としての保有長期有価証券の増大でもありました。

CSは2022年から赤字であり、訴訟も抱え、そういう点でも顧客資産の流出が続いていました。米国SVBの破綻で「そういえばCSは大丈夫か」という連想から、一気に経営不安説が広がったという経緯です。

その背景として、上述のように長期有価証券の保有割合が高いことも影響しました。コロナ禍下でバランスシートが3倍に膨張していたものの、それは一時的な現象であり、預金流出に伴って保有有価証券を圧縮しなければならない局面に至っていました。

欧米各国で破綻や経営不安に直面した金融機関は、総じて長期有価証券の保有が多く、特定業種からの預金や取引が集中していた等の類似点を有していました。

危機は誰も気づいていなかったからこそ危機となります。それが「危機の本質」です。

上記のような背景で破綻や経営不安説が惹起されると、技術進歩に伴うネットバンキング等の普及や、SNSを通じた情報拡散で、危機が突然表面化します。今回はそういう事情もかなり影響しています。

FRBも資金供給による事態収拾を試みましたが、ネットバンキングの普及等に伴う預金流出の速さに追いつかず、取り付け騒動に発展。SVB破綻に至りました。

中堅銀行でもシステミックリスクが起きることを目の当たりにし、他の中小金融機関も疑いの目で見られ、一部は破綻に至りました。

今回の金融危機の教訓は、いざという時の流動性確保の体制ができていなかったということです。つまり、破綻の直接的原因は資金繰りの失敗と言っていいでしょう。

表面上健全行の見えざる経営危機、中小金融機関の流動性不安が払拭されない限り、金融不安が続くと判断した各国当局は流動性供給に万全を期しました。民間金融機関による支援も同様です。

だからこそのFRBによる預金全額保護宣言であり、米ファースト・リパブリック銀行に対する大手銀行11行からの預金注入による救済劇でした。

2.AT1債

3月19日、スイス金融最大手UBSは窮地に陥っていたライバル銀行CS救済のため、同行を30億スイスフラン(約4300億円)で買収しました。

買収時点で、スイス連邦金融市場監督機構(FINMA)は160億スイスフラン(約2.2兆円)相当のCSのAT1債を無価値と決定。一方、株主は買収取引の一環として、約0.70スイスフラン(約101円)でUBSに株式を売却するオプションを得ました。CSの負債軽減のためですが、市場関係者と投資家を驚かせました。このことが今回の金融危機の第2幕です。

当局によるこの決定は物議を醸しました。破綻時には債券よりも先に損失を被るべき株式の価値を維持した上でのこの決定によって、他行が発行するAT1債の価格が下落しました。

CSのAT1債の多くは、海外金融機関とくにUBS等のプライベートバンクが、海外投資家とりわけアジア富裕層に販売していました。

先週、日本での被害も発覚。三菱UFJモルガン・スタンレー証券がCSのAT1債を約950億円分、国内個人投資家等に販売し、約1500の顧客口座でCSのAT1債が保有されていると発表しました。同証券販売分は総発行額の約4%に相当します。投信のような形式ではなく、AT1債を直接販売していました。

みずほ証券は40億円強、大和証券及びSMBC日興証券もそれぞれ数億円を販売しており、日本国内の被害総額は判明分だけでも1000億円を上回ります。

AT1債を確定利付証券として販売していたとの情報も聞きます。その結果、本来はハイリスク・ハイリターンの金融商品ですが、顧客は安全で高利回りという認識で喜んで購入していたようです。レバレッジ(借入によるテコ)を駆使してAT1債を大量購入していた投資家もいます。

もちろん、アジア富裕層だけではありません。米国や中東の投資家も痛手を被っており、今後、訴訟等のトラブルになるでしょう。

そもそもAT1債とは何でしょうか。分類的にはCoCo債と呼ばれる永久劣後債の一種です。ますます難解ですね(笑)。

CoCo債は「Contingent Convertible Bond」の略称です。日本語では「偶発転換社債」と訳されます。

永久劣後債とは、発行体破綻時の清算において、社債や借入金等の通常債務より弁済順位が低い債券のうち償還期限がないものであり、債券と株式の両方の性質を持つハイブリッド債です。

永久劣後債は利回りが高く設定されるとともに、発行体が一定期間後に元本を買い戻す条項がつけられることが多いようです。運用面で魅力がある一方、一定条件下では元本が全額は返ってこない、あるいは全額喪失のリスクがあります。

つまり、発行体が経営破綻した場合の残余資産分配において、他の債権全てが弁済されるまで、当該債権に対する分配が行われない仕組みです。

金融機関が発行する永久劣後債はAT1債とも呼ばれます。「Additional Tier 1」の略称です。「Tier」は「層」という意味であり、「Tier1」は「自己資本の一番大事な層」という含意です。

ATI債は「バーゼル3(BISによる自己資本比率規制)」で中核的自己資本に算入することが認められているため、自己資本増強を期す金融機関による発行が増えています。

しかし、あくまで永久劣後債のため、発行体の自己資本比率が一定水準を下回った場合や監督当局の決定などにより、強制的な元本削減や株式転換があり得る債券です。利払いも発行体の裁量で止めることができます。

こうした不安定、不透明な点は金融当局やプロの市場関係者の間では認識されていましたが、一般投資家には十分に浸透していなかったようです。

そうした中で、上述のように海外金融機関等がアジア富裕層等にAT1債を販売、とりわけ日本では確定利付債券かの如くのセールストークで売られていたようです。

AT1債市場規模は2022年末時点で少なくとも約2600億ドル(約34兆円)と推定されています。

3.CET1比率

リーマンショック後に改められた自己資本規制「バーゼル3」では「中核的自己資本(Tier1)」比率を一定水準以上に保つことが求められました。

そのうえで、AT1債で調達した資金は、資本金や利益剰余金などの「普通株等自己資本(CET1)」を補完するものとしてTier1に組み入れられることが認められました。

AT1債は投資家が負うリスクが高い分、金利も高く設定されます。低金利環境下で高利回りを求める投資家が積極的にAT1債を購入しました。欧米系大手銀行が発行体の中心であったことから、棄損リスクはあまり意識されず、富裕層の人気を博しました。

例えば、10年物米国債の利回りは現在約3%台半ばですが、昨年6月発行のCSのAT1債(16.5億ドル)の年利は9.75%でした。

AT1債は2008年リーマンショック後の金融規制強化の一環で導入されました。発行体の財務状況が悪化した場合などに、元本が削減されたり、株式転換して資本増強のために自己資本に算入されます。

つまり、AT1債は経営危機時に発行体の資本レベルを引き上げ、負債を減らす役割を果たします。株式は破綻処理されないとベイルイン(損失負担)しませんが、AT1債は企業継続のために資本増強に利用されるため、債権者はベイルインを余儀なくされます。

AT1債が「ゴーイング・コンサーン・キャピタル(事業継続のための資本)」とも言われる所以です。

また「バーゼル3」において、新たな自己資本比率規制として導入されたのが「CET1トリガー(CET1比率規制)」です。

「CET1」とは「Common Equity Tier 1」の略であり「普通株式等Tier1」と呼ばれ、最も損失吸収力の高い資本(普通株式及び内部留保等)と定義されています。

「CET1」には自己資本の質強化及び金融システム内でのリスク蓄積防止の観点から、のれん等の無形資産、繰延税金資産、他の金融機関の資本保有等は除外されます。

ルール上、「CET1比率」が5.125%または7%のどちらか以下になればベイルインが認められ、株式が無価値化しなくてもAT1債の元本はゼロになり得る仕組みです。

欧州では「バーゼル3」スタートを契機に、2014年から2015年にかけてAT1債の発行が急増。主要国大手銀行がTier1資本不足への対応を急いだためです。

しかし、過去の劣後債や優先出資証券と同じ利回りでは投資家への魅力が乏しかったため、AT1債の利回りは相当高く設定されました。

当初はリスク評価の難しさから敬遠されましたが、次第に債券の利回り不足に悩む機関投資家等からの投資が増加。ユーロ圏やその周辺国がマイナス金利や量的緩和を導入して以降は増加ピッチが速まりました。

加えて、2015年末から2016年にかけて、EU銀行再建・破綻処理指令(BRRD)によってAT1債よりも利回りが低い既存の「無担保シニア債」も損失吸収債券とされたことから、「それならば」ということで投資家はAT1債投資にシフトしました。

2016年、イタリア大手行モンテパスキの経営危機に際してイタリア政府は予防的に公的資金を注入。その際、AT1債に類似した同行のTier2債以下が株式に転換されました。

2017年、スペインのポプラール・エスパニョール銀行破綻に際し、ライバルのサンタンデール銀行による救済措置の一環としてAT1債に加え、株式まで価値を喪失。AT1債リスクが顕現化しました。

しかし、それでもイタリアやスペインの特殊事例という受け止め方にとどまり、以後もAT1債投資は続きました。

今回、スイス当局はAT1債契約条項に記された「存続に関わるイベント(Viability Event)」に抵触したとして無価値化を決定しましたが、その判断の適否は今後論争になるでしょう。

多くのAT1債投資家はCET1比率が下がらなければAT1債は毀損しないと考えていたと思います。そして「存続にかかわるイベント」等によってAT1債が毀損する可能性が発生する前に、まずはCET1比率が下がってAT1債売却を検討する時間的余裕があると思っていたはずです。

今回の唐突な展開によって、投資家はスイス系金融機関のAT1債を忌避するだけでなく、欧州他国系AT1債の価格も下落しました。ECB(欧州中央銀行)、BOE(イングランド銀行)を含む欧州各国の金融当局は「株式とAT1債の弁済順位逆転はない」との声明を出して市場の動揺を抑えるのに躍起です。

日本のAT1債は、預金保険法126条に基づく公的資金注入はAT1債トリガー条項に該当しないという認識であるため、欧州AT1債利回りが急上昇(価格下落)したのに比べ、落ち着いた動きです。しかし、上記認識が正しいかどうか、発生する危機の状況如何です。

世界的な金融緩和、中でも日本の「異次元の」「異常な」超金融緩和は確実に金融商品や不動産等の資産市場に影響を与えています。それが表面化しているか、認識できる状況にあるかは別問題です。

危機は誰も気づいていなかったからこそ危機となります。それが「危機の本質」です。3月以降の金融危機は、収束したというよりも新たな潜在的事態が伏流する次の局面に入ったと見るべきでしょう。

(了)

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